しかし、長年サーヤと付き合っているミレイからすれば、その『今日』が昨日や一昨日ではなかった分だけ良い方であった。健康診断を行う場所は各室のある星中枢部の方角である。ミレイはこの時診断は既に受け終わっていたが、データ用紙をまだ受け取っていなかったため、サーヤと共に診断センターまで行く事にした。
「でもさ、そうやって何の心構えもなく診断思い出すと何かブルーな気分にならない?」
 ミレイは道すがら、こういう事が今まで幾度となくあったサーヤにそう尋ねた。
「えっ??何で?」
 しかし、サーヤから同意は返ってこない。ミレイは驚いて言った。
「えぇ?!だってあのマシンの中入るとメチャクチャ気分悪くならない?」
「そうかなぁ…別に何も感じないよ?」
 それでもサーヤは何の事か分からない、といった顔だ。ミレイは呆気にとられて彼女を見た。今まで出会った誰もが診断後には何かしらの不快を感じる、と言っていたし、自分もそうだった。あまりにも皆言うので、誰もがそれを常識と思っていたのだが――目の前の古くからの友人は、平気でその常識を覆してくれた。
「鈍感なのかなぁ、私」
 そんなミレイの反応を見て、サーヤは自問するように言った。
 失礼ながら、その可能性は確かにあるだろう。だがミレイの驚きはすぐには醒めそうになかった。

 診断センターにいたるエレベータは、まさに星中枢部の、各室区画の片隅にあった。居住区画を越えて、普段は入らない各室区画に踏み入ると、職業人のオフィスめいた雰囲気に刺激を受ける。
 二人がエレベータを待っていると、同様にエレベータに向かってくる二つの足音がした。――それは、偶然にもテラとリザマールであった。仕事のものと思われる書類を手にしながら何やら話し合っていたが、サーヤとミレイに気付くと二人共、特にテラは大いに驚いた。
「サーヤ!何してるんだ、こんな所で」
 テラの声でサーヤとミレイも気が付いて、同様に驚いた。
「お兄ちゃん?!うわぁ、偶然だね〜。何してるって、これから健康診断だよ」
 その後ろで、ミレイがテラに軽く頭を下げた。
「マーシャル・ミレイです。お久しぶりです、テラさん。妹さんにはお世話になってます」
 テラは最初の驚きの去らないうちにミレイを見て、より驚いた。彼の記憶にあるミレイの姿から、もう随分成長していた――サーヤの成長具合から考えれば予測すべきだったのだろうが、何にせよ偶然出会ったのだ。準備も出来ていなかった。やや成長不良の色があるサーヤと異なり、18歳という年齢相応の若さと健康的な色気を兼ね備えた若い女性に成長したミレイの姿に、テラはしばし呆然となった。

「おや、ライアス君、妹さんだね。…あれ、君は…?」
 そのテラの後からリザマールが顔を出した。彼の姿を認めた途端、ミレイが面白いほど輝かしい表情になるのをテラとサーヤは見逃さなかった。
「あ、あのっ、三等中枢補佐官ですか??私、サーヤの学友でマーシャル・ミレイという者です。お仕事、お疲れ様です!」
 そして、それに続いていかにもはしゃいだ調子でミレイの口から紡ぎ出される言葉の数々を、あ然として聴いていた。特にサーヤは、第一人称まで変化している事に、文字通り開いた口がふさがらなかった。今までミレイからリザマールのファンだとか、そういう話はあまり聞いた事がなかった。そういう流行っぽいものには
普通の女の子らしく目聡いという事なのだろうか――二人が面食らっていると、リザマールはミレイに答えて言った。そしてその内容はより二人を驚かせた。
「あぁ、覚えてるとも、あの時の白百合の子だろ?ミレイっていう名前だったんだな、大きくなったね」
『あの時の白百合の子』とは一体何なのか。どうも以前会った事があるらしい彼らのやり取りに、二人は息つく間もなく驚いていた。するとそれを聞いたミレイが、今度は涙をこぼし始めた。
「あ…ありがとうございます……!…お陰様で、私、ここまで…」
 言いながら、ミレイはたまらず泣き崩れた。リザマールはそれを慰めるように、
「僕は何も…君が強かったのさ。18歳だっけ?就職決まった?」
と話しかける。頭の中を!と?で埋めつくしている兄妹を放っといて、リザマールとミレイの会話はしばらく続いた。

 その様子を見ながら、驚きがようやく去りつつあるのと同時に、テラはまた何か面白くない気分になってきた。どうしてかははっきりと分からないが、どうもリザマールが人気であったり誉められたりしている時感じる対抗心のようなものと同類の感情だった。サーヤにチラと目をやると、彼女はまだこの状況に驚き続けているようだ。それを遮るように、テラは妹に声をかけた。
「サーヤ、よく健康診断の事忘れなかったな」
 サーヤはいきなり違う話を振られて「えっ?!」と言いながら兄の方へ振り向いた。
「あ、うん、でもね、あと少しで忘れる所だったんだ」
「…やっぱりな。あんな面倒で気分悪くなるもの、お前が普通に覚えてる訳がないと思った」
 機嫌が悪い事を口調の端々にたまに滲み出しながらテラは言った。
「あのね〜いくら三等中枢補佐官とミレイが話してるのに驚いたからって何機嫌損ねてんのお兄ちゃん。大体さっきミレイにも言ったけど、私健康診断で具合悪くなった事なんてないよ?」
 すると、その言葉にテラも驚いた顔になる。そうこうしているうちに、リザマールとミレイも話し終えたのか気兄妹に合流してきた。
「え〜、何でお兄ちゃんまで驚くの?私がおかしいのかなぁ」
「どうしたんだい?」
「私、健康診断で気分悪くなった事ないんですけど、おかしい事ですか?」
 話に入ってきたリザマールにも、サーヤは自分の『症状』を言って聞かせた。リザマールは少し不思議そうな顔をしたが、他の二人ほど明からさまには驚かずに、
「確かに珍しいけれど、気分が悪くならない事を異常と思う事はないですよ。普通の人より機械に強い体質なのかもしれませんね」
と、微笑みながら言った。サーヤが安心したように笑う。テラはまた何か嫌な気分になった。

 その時ちょうど下の階(診断センターのあるのも下の方だった)からエレベータが着いたので、サーヤとミレイは当初の目的を思い出し、エリート二人に別れを告げてエレベータに乗りこんだ。(また会おうね、などとリザマールが言うもので、ミレイはまた泣きそうになっていた。)彼女達と入れ違いに、数人エレベータから降りてきたのだが、そのうちの一人を見てリザマールは驚いた。
 それは、先日の看護士だった。彼の姿を認めると共に、リザマールの脳裡に、ダークブロンドのおびえた少年の顔が甦った。看護士の方もリザマールを覚えていて、彼に深々と一礼した。
「この前はありがとうございました!お陰様で、彼にも無事健康診断を受けさせる事ができました」
 それを聞いて、リザマールは複雑な気分になった。
「あ、そう…それは良かった」
 完全にはそう思っていないながらも言うと、看護士はニコッと笑って再び頭を下げ、立ち去っていった。リザマールはその背中を見送りながら、その少年がどんな様子だったか気になったが、追いかけて尋ねる訳にもいかず、成す術なく立ち尽くしていた。

「……どうかしたんですか」
 テラが不審に思って声をかけた頃になってやっと、リザマールはハッと我に返った。
「あ、いや…悪いね」
 歯切れ悪く答える彼に、テラは不審を強めた。
「彼って誰の事ですか」
 続けて尋ねてみると、リザマールは苦笑いした。
「通りすがり…というか何というか…僕も名前は知らないんだよね」
「…は?もう少しマシな答えが返ってくると思いましたよ」
 テラはその答えに呆れて言った。リザマールは痛いなぁと笑った。
「いや…さっきの看護士の人に頼まれて人探しをしたんだけどね…彼らの職業義務上個人情報は教えてもらえないだろう?………こう答えれば『少しはマシ』かな」
 それを聞いて、しばらく黙って彼を見た後、テラはほんの少し不機嫌さを滲ませた無表情な顔でこう言った。
「……あんたは何人の『通りすがり』の人生に関わってるんだ?」
 リザマールの好むところのタメ語喧嘩口調だ。彼は自分よりいくばくか背の低いテラを見た。テラは続ける。
「どうせあの子…ミレイと何かあったのだって通りすがりなんだろ」
 テラは言いながら一瞬チラとリザマールを睨み上げ、それからフイと目を逸らした。テラが格別背が低い方ではないが高くもないのに対し、リザマールは186pの長身を誇る。テラからは随分高くにリザマールが見え、その事も彼のリザマールに対する劣等感に寄与していた。そんな苛々も語気に乗せて、テラは続けた。
「あんたが関わるとその相手の人生がどれだけ変わるか自覚ないのか?」
 そんなテラの、リザマールからすれば本領発揮の物言いを聞いて、久しぶりで楽しいなぁなどと心のどこかで不届きな考えを巡らせた後、リザマールはゆっくりと答えた。
「思うほど変わらないと思うけどな。1回会っただけで人生変わるなんてそれこそ大ゲサだよ。大体そんなにいつも首突っ込んでる訳じゃないよ」
「そんないつもでたまるかよ、普通だろ。変わらないって、じゃあさっきのミレイは何だって言うんだ?」
「…あぁ、あの子ね。あの子は少し違うから」
 リザマールは少し柔らかい笑みになって、一旦下を向いた。テラが不審に思ってその顔を覗き込むと、リザマールはすぐに続けた。
「この前の名前も知らない彼なんて全く関わっていないと言ってもいいね。結局そんな感じだよ、殆どの場合」
 そして彼は、その赤茶で、少し右側が長い不思議な短髪を撫でつけた。
 テラは尚も不審と不機嫌の眼差しを上司に送りつける。
「……信じてない顔してるね、テラ」
 リザマールは少しだけ意地の悪い笑みで答えた。普段は名字に君付けの呼び方で呼ぶが、彼が喧嘩モードになるとリザマールも下の名前呼び捨てに変える。
「信じらんないのは勿論だが、あの子は違うってどう違うんだよ」
「やけにあの子に固執するんだね」
「当たり前だ。あの子は妹の一番の友人なんだ」
「…あのな、別にこれから取って食おうとか危ない目に逢わせようとしてる訳じゃないんだよ?どうしてそんな悪者扱いするのさ」
 食ってかかるテラに、リザマールは肩をすくめて苦笑いした。
「論点ずらすなよ、質問に答えてないだろ」
 懲りずにテラは噛みついた。リザマールはやれやれと溜息をついた。
「あの子は通りすがりよりは深く関わったんだよ。僕があの子に関わったのと同時に、あの子も僕の人生を変えたのさ。だからこそ今の僕があると言っても良いね」
 続いて気乗りしない調子で言われた言葉に、テラは瞬間返す言葉を失った。
 リザマールの栄誉は誰もが知る所だが、その人生の中身までを知る者はいない。その人生が無名な少女によって変えられたなど、これほど近くにいようと予想できるものではない。テラは目の前の、名声を欲しいままにしている上司の、言われてみると莫大な秘密を隠していそうな目を見た。その深さに気圧されて、テラはすぐに目を逸らす。興味は次から次へと生じてくるが、それを口に出して問う事は何となく出来ない雰囲気があった。そんなテラの様子を見て、リザマールは苦笑を漏らした。
「いきなり大人しくなったね。君が弱気になるとすぐ分かる」
 テラは、その言葉に鋭く相手を睨みつけた。が、すぐに目を逸らして言った。
「別にあんたのプライベートに興味ある訳じゃない………もう良い」
 激しく全く嘘なのだが。しかしテラにはそう言っておくしかなかった。
 リザマールは笑ってテラを見た。
 (これだから、飽きない)
 しかし、やがて二人はシス管まで至ってしまい、その話はそのまま流れたのだった。

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