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 テラと共に、リザマール始め数人が現場へ駆けつけると、ハルームはうつ伏せに倒れた状態でそこにいた。流れ出した血で、床には赤い水たまりが出来ているようだった。テラがその横に片膝をつくと、ハルームは声なき声を絞り出した。
「テ…ラ、すまない…サーヤちゃんを…守り切れなくて…」
 ハルームのその言葉に、テラは涙が出そうになった。彼は命を捨ててまで妹を守ろうとしてくれたのだ。ただ隣人に過ぎなかったはずなのに。
「いや、十分過ぎる。もう、何も言うな…」
 サーヤの事でテラが責めていたのは自分自身だった。どうしてそれを、ここまでしてくれたハルームにぶつけることが出来るだろう。
 しかし、ハルームは尚も言葉を絞り出した。
「いや…死ぬ前に、言わせてくれ……あれは、奴らだ、『リュクルゴス』…」
 その言葉に、テラはハッとして彼を見る。
「サーヤちゃんを連れてったのは…子供だ、14、5歳の…そしてあと一人、20代位の女がいた…奴らは妙な能力を使う…ここのシステムが、作動しなかったのも…多分、そのせいだ」
 ハルームが瀕死で残った力を振り絞って残してくれる貴重な証言を、テラと共に現場に駆けつけた若手が素早く書きとめた。テラは、ハルームの傍に片手をついた。流れ広がった血で、その手が赤く濡れる。
「サーヤちゃんは…殺しはしないと言っていた……だから、取り戻せるはずだ」
 ハルームは、力の無くなっていく目で、それでもはっきりとテラを見て言った。
 テラは、それに力強く頷いた。その拍子に、涙が一筋流れ落ちる。
「ありがとう、ハルーム……本当に、ありがとう」
 言葉を言う度、次の涙が落ちる。テラの言葉に、ハルームは笑った。
「いーって、事よ…サーヤちゃん、絶対…取り返せよ」
 最後まではっきりとそう言うと、笑った顔のまま、ハルームの目からすっと光が消えていった。
「………」
 アーチ・ハルーム、絶命の瞬間だった。


 シス管による情報制限などする暇もなく、適性者が連れ去られた事は星中に広まった。当然といえば当然だ。これほどの非常事態が伝わらないはずがない。また、シス管の方も情報制限どころではなかった。各星に非常事態宣言を発し、破壊されたシステムの復旧にも追われていた。また、ハルームの言葉にもあったように、サーヤが殺されていないという事は、それを奪還する事も考えなければならない。シス管だけでなく、星中が喧騒状態だった。

 そんな中、今回のテロ――これが、手法を変えたテロである、という事になる――で、唯一の犠牲者となったハルームの葬儀が星を挙げて行われ、星中の人間が参列した。その立派な最期の様子は星中の人々の心を震わせたのである。彼と全く関わった事のない人間でもそうだったのだから、彼の属していた工事部門の者達は言うまでもない事であった。
 その葬儀の席で、テラは決意を新たにしていた。
(お前の残してくれた証言、無駄にはしない)
 ハルームの死に対する悲しみの裏から、テラの心にはリュクルゴスへの憎しみの心が、確かに燃え始めていたのだった。


 五日ほど、シス管は非常事態体制が続き、隣人のいなくなった自分の部屋にテラが帰れたのはその後になった。まだ救出作戦の方が整わない状況に、苛立ちと焦りを覚えながらも、それよりも更に火急の事が数多あるのも事実で、しかもそれを誰よりもよく知る立場にいたテラは、烈火の如く業務に打ち込む他はなかった。そこまですれば流石に疲れから気は紛れる。部屋のソファに沈むように座ると、そのまままどろみ始めた。
 しかしその時、部屋玄関のチャイムが鳴った。
(誰だ?)
 テラは訝しげに目を上げた。連れ去られた適性者の兄で、犠牲者の隣人と、当事者であるのも甚だしいライアス・テラである。やじ馬が集っても不思議はない。しかしその相手をするほど心に余裕がある訳でもなく、そもそも凄まじい疲れである。無視しようかと再び目を閉じる前、チラとモニターを見たテラは、しかし、跳ね起きた。
「こんにちは。急に来てしまってすみません」
『別れの儀式』で辛うじて顔を合わせて以来全く音沙汰のなかったサーヤの親友、マーシャル・ミレイであった。

 ミレイは思いつめたような顔をしていた。テラが彼女を部屋に招き入れ、椅子に座らせると、彼女は真っ直ぐに彼を見て言った。
「お願いがあって来ました」
 ミレイの目は決意にぎらついていたが、テラにはそれが少し自分の無力を責めているようにも感じられて、彼は目を少々細めた。
「…何だ?」
「サーヤを助ける部隊が出るんですよね。それに私も加えて下さい」
 ミレイは全く淀まずに言った。それは全く予測しない申し出ではなかった。むしろ、彼女の性格と今の様子を考えればそう言い出す方が自然と考えても良い位だった。テラはしばらく黙っていたが、やがておもむろに口を開いた。
「認可は難しいんじゃないか。お前がサーヤの一番仲良い友人なのはよく知ってるが、敵地に乗り込むとなったら足手まといにならないはずがない。…まだ学徒でもあるしな」
 ミレイは黙っている。テラは更に一言つけ加えた。
「大体、俺だってまだそれに加われるか分からないんだ」
 すると、ミレイはすっと顔を上げた。
「加えてもらえなかったらテラさんはここに残るんですか?」
 予想もしない彼女の言葉に、テラは思わず彼女を見た。
「あたしの知ってるテラさんなら、何が何でも自分でサーヤを助けに行くと思いました。違いますか?もし加えてもらえないなら、自分一人で別にでも行くような人だと。…それなら、それはあたしもそうなんです」
 テラは呆然とした。自分でもよく自覚していなかった自分の本心をこの少女によって見透かされた気分だった。黙りこくるテラを前に、ミレイは着ていた制服の胸ポケットから、一旦丸められたと見えるしわだらけの紙を取り出した。それをテラに渡しながら、彼女は笑顔を浮かべて言う。
「サーヤから聞いていたかもしれませんけど」
 テラは促されるまま渡された紙を開いて見た。
 そして、驚きに目を剥いてミレイを見た。
 ミレイは微笑んでつけ加えた。
「だから、あたし、足手まといにはならない自信があるんです」
 それは、いつかの健康診断のデータ用紙であった。
 能力異常値387.65。それは驚異的な数字だった。
 テラにも、やや高い値が出る。70程度の――それでも、サーヤなど全く何も出ない人間は0か、せいぜい1以下の、誤差程度の値しか出ないのだから、相当高い方なのである。それが300後半とは。日常生活にも支障が出る値である(事実出ているのだし)。
「なるほど、これは…」
 テラは感嘆の声を漏らした。そしてその紙をミレイに返しながら言った。
「分かった。そうなるよう手を回すよ。…もし加えてもらえなくても、俺について来ればいい」
 ミレイは、それを聞いて初めて嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
 しかし、その間でさえも、態度の力強さは変わらなかった。
 この少女もまた、サーヤのために、リュクルゴスに対する憎悪を燃やしているのだろう。そう思わせるような、決然としすぎた態度であった。