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 予感は当たって、一週間ははっきり言って全くそっとしておいてもらえず、サーヤはミレイとも兄とも満足に会えなかった。ミレイとは、二日前にやっと会う事ができた。
「案外落ち着いてるのね」
 会って開口一番ミレイが言ったのはその言葉だった。二人が会ったのはサーヤの自室だった。巫女を継ぐ事が決まって、教育施設は自動的に卒業措置が取られていたが、儀式まではまだ、この学徒用個室がサーヤの部屋だ。毎日関係者や野次馬がひっきりなしに訪れるので、消灯時間を過ぎてからミレイはやって来た。
 サーヤは部屋の中央の椅子に腰掛けて、微笑んだ。
「そんな事ないよ。日が近づくにつれて眠れなくなってるもん」
 しかし、数日騒ぎに紛れて会わなかった間に、サーヤの雰囲気には確かな変化があった。何か悟ったような、覚悟を決めたような感じがある。
「そう?…心配して損した気分よ、すっかり巫女然としちゃってさ。かなり置いてかれた感じ」
 ミレイが苦笑すると、サーヤはむっとした顔になった。
「別に置いてってなんてないよ。すっごい不安なのは変わんないもん。……でも別に死ぬ訳じゃないって、思う事にしただけなの」
「………まぁそうなんだけどさ。でもあたしは一般人だからもう会えないでしょ」
「うーん…ワガママ言ってもダメかなぁ」
「…さぁ…でもダメなんじゃない?そーいう話聞いた事ないし」
 実際、巫女になると、巫女になる以前の想いが弱くなると聞く。ひどい場合には、一切の記憶がなくなってしまう事もあるらしい。そういう前提において、サーヤが巫女になった後もミレイに会いたいと思うかどうかも、怪しいものがあった。
「あ〜あ、30になる前には来るかなと思ってたけどまさかこんな早くとはね」
「………」
「ねぇ、言っても意味ないのは分かってるんだけどさ」
 ミレイはサーヤの正面に立った。サーヤがミレイを見上げる。
「あたしの事、少しで良いから覚えててよね」
 ミレイはゆっくりと、努めて普通に、そう言った。
 サーヤは真剣な目で頷いた。
 その夜ミレイはサーヤの部屋に泊まりこんだのだった。


 サーヤがテラと会えたのは、その翌日、つまり前日になってからだった。
 テラも、サーヤの雰囲気が変化したのに驚いたような顔をした。
「やだ、お兄ちゃん、何日徹夜したの?凄い顔してるよ」
 サーヤは、ミレイに会った時より更に落ち着いているようだった。
「…もう数えてない」
「ダメじゃん。これが終わったらちゃんと寝るのよ」
 サーヤは立ち上がって兄と自分の二人分のコーヒーを淹れた。巫女となる事が決まってから一週間、サーヤの部屋の配給物はすべて最高級になっていた。テラはコーヒーを受け取って、落ち着き払っているような妹に戸惑いながら、サーヤのベッドに勝手に腰掛けた。
「最近忙しかったんだね。私もある意味忙しかったけど」
 サーヤがしみじみと言いながらコーヒーに口をつける。テラはコーヒーを持ったまま妹を凝視していた。サーヤが黙ると部屋がしんとする。元々無口な兄であるので、サーヤは全く気にしていないようだった。
 しばらく沈黙が続いた後、テラはコーヒーをあおるように一気飲みしてベッド脇のテーブルにカップを置いた。その飲みっぷりに、サーヤはびっくりした顔でテラを見た。テラは口元を手で拭うと、一言、言った。
「泣け、サーヤ」
 サーヤはその言葉に驚愕して兄を見つめ返した。テラは立ち上がり、サーヤの座っている椅子の傍に片膝をついて妹の手を取った。
「お前、不安を押し殺してるだろう。巫女になってからで良いんだ、そういうのは。…俺の前でまで虚勢張るな」
「き、虚勢なんて張ってないよ」
「本当に?」
 テラが見上げると、サーヤの目に少し動揺が走った。テラはふっと微笑むと、片手で取っていた妹の手を両手で包んで自らの額に押しつけた。
「…お前が平気なら、俺に泣かせてくれ、サーヤ」
 サーヤは更に動揺した様子を見せる。テラは続けた。
「俺は不安で仕方ないよ。自分の事より、ずっと不安だ。お前を誇りに思う、その分だけ不安が募る。…それに、寂しい」
 兄がこんな風に弱音のようなものを言うのは滅多にない事だ。サーヤはその言葉に本気を感じた。そして一週間心の奥にしまい込み、忘れようと努力してきた感情の数々がその言葉と共鳴する。サーヤの手は小刻みに震え始めた。
「会いに行ってやるからな、お前が忘れてても。職権濫用してでも行ってやる。覚悟しておけよ」
「お兄ちゃん…」
 サーヤはついに片手を口元に当てて泣き出した。
「な…何よ、せっかく…ガマン…してたのに…お兄ちゃんのせいよ…」
 涙に言葉を途切れさせながらサーヤは抗議の言葉を並べた。テラは、そんな妹を愛おしげに抱きしめた。サーヤから力一杯の抱きしめ返しがすぐに来る。
「そうだな、俺のせいだ」
「もう、バカ…!!」
 その夜は、一刻一刻を惜しむように二人で色々な事を話しては黙った。結局一週間のうちでこの日しか会えなかった兄妹は、急すぎた別れをこの上なく惜しんだ。そしてテラは数日振りの睡眠を妹共に取る事になった。ソファの上での辛い姿勢ながら、テラには仮眠装置を使うのよりずっと心地良く感じられた。



 翌日、別れの儀式などは思った以上に慌しいものだった。ミレイやテラとはきちんと過ごせておけて良かったとサーヤは思ったものだ。結局きちんと会えなかった両親とは、握手と抱擁を辛うじて交わせただけで、満足に会話もできなかった。
「…それにしても、ハルームについて来てもらえて良かった〜」
 転送装置の間へ向かう途中の通路で、サーヤは隣を歩く男、アーチ・ハルーム(22)に声をかけた。テラの居室をサーヤが訪ねようとする度に彼女が世話になった、屈強な体つきのテラの隣人である。ハルームが爽やかに答えた。
「ん?あぁ、俺もご指名ですよ、って言われたときゃ驚いたけど、見送れる特権?みたいな感じで嬉しかったぜ。テラには恨み殺されそうだけどな」
 そう言って笑うハルームに、サーヤも笑いながら言った。
「いやぁ…でも流石のお兄ちゃんでもそんな逆恨みは…大体血縁者OKだったとしてもお兄ちゃんは仕事があるもん」
 そうなのだった。テラはシス管において、転送装置や扉等の制御に関わる業務があった。先程も別れの儀式後即行職場に駆けつけていたものだ。
「いやぁそれにしてもテラの妹煩悩は見てて面白いもんがあったよな。良い兄ちゃん持ったなサーヤちゃん。今もきっと誰より一生懸命仕事してるぜ」
 ハルームがしみじみと言った。サーヤは昨晩の兄の様子を思い出し、そして『一生懸命仕事してる』図を想像して微笑を浮かべた。
「は〜ぁ、でもテラの気持ちも分かるぜ。サーヤちゃんみたいな妹がいたら俺も過保護になっちゃうよ。可愛いもんな、マジで。…何か戻ってきたら別人みたいに神秘系になってるのかと思うと不遜ながら勿体無ぇとか思っちまうぜ」
 歩きながら、続けてハルームが言った。サーヤはハルームから言われるとは思っていなかった単語の数々に驚いて彼を見上げた。
「やだなぁお世辞言わないでよハルーム」
「え〜?結構マジメに言ったんだけどなぁ」
 それを聞いてサーヤの頬がほんのり朱に染まる。ハルームはカッカッと笑ってサーヤの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「俺兄弟いねーからな、テラとサーヤちゃんが弟と妹みたいな感じ。今も勝手に妹送り出す気分だな。無事に帰って来いよ☆」
 サーヤはその言葉にまた一粒涙をこぼした。色々な人に心配してもらえて自分はとても幸せ者だ、と。泣かせたのかと焦るハルームに、サーヤは言った。
「違うの!これはお兄ちゃんのせいなんだから。ハルームに泣かされたんじゃないよ」
「テラのせい…なのか?この状況で?」
「そうだよ。昨日お兄ちゃんに泣かされたんだから。もし昨日涙腺が緩んでなかったら、こんな涙もろくなんてなってなかったはずなの!」
「無理矢理だなぁ…」
 サーヤの主張にハルームは苦笑いした。やがて二人は転送装置の間に到着した。装置に入る前に、サーヤはハルームに跳びついた(ハルームは巨漢だったのでサーヤとはかなりの身長差があった)。ハルームは驚きながらもそれを優しく受け止めた。テラとは違って、腕は逞しく、手は労働の染み付いた、無骨だがものを語る手だった。
「私適性者じゃなかったらハルームのお嫁さんになりたかったのにな」
 サーヤが言うと、ハルームは優しく笑いを漏らした。
「光栄なこった。そんなん聞かれたらマジでテラに殺されるけどな」
 サーヤは、ハルームを指名して本当に良かったと思った。