渡された見取り図を見ながら俊之介は歩いていた。
花園院の家は、やはりと言うべきか、貴族や金持ちの例に漏れず地下に脱出路を作っていた。
それを全て調べ尽した知り合いの情報収集能力に舌を巻きながら、屋敷から少し離れた公園内を歩く。
やがて、公園の奥、誰も踏み込まないであろうほど木々が鬱蒼と茂った所に目当てのものを見付けて薄く笑む。
一見何の変哲もない石のタイルには、土や苔が付いていた。否、付けられていた。
触れると、春の冷たい夜風にすっかり冷やされ、氷のようにひやりとする。
念のため周囲を確認してから、タイルをずらして現れた穴に飛び込む。
そして、中からタイルをずらして穴を塞ぐと、闇に飲み込まれたように視界は真っ暗になってしまった。
壁に触れると、堅牢な石造りの地下通路であることが分かった。
世の中の不平等さを感じ、皮肉な笑みを浮かべつつ俊之介は壁に手を当てたまま進む。
中は基本的に一本道だが、途中いくつか枝分かれする。防犯のためだろう。
手が壁から離れる度にライターを点けて地図を確認し、再度進む。
それを繰り返していると、やっと突き当たりに行き着く。
目の前には梯子がある。
これを上れば、屋敷の二階の物置に出るはずだ。
音と気配を消しつつ、慎重に上っていく。
天井を押し上げると、思ったより簡単に開いてくれた。
上を窺えば、黒々とした塊が月に僅かに照らされて出口を囲んでいた。
軽やかに穴から出る。部屋は埃っぽくない。きちんと掃除しているのだろう。
俊之介はライターの火でドアを確認し、足元に気を付けながら物置を後にした。





あれ、と理安は首を傾げた。
閉じていた目を開け、周囲を見渡すが、何も変わってはいない。
麗奈も光慈もおとなしく男二人に捕まっている。
あれから、二人も手だけは縛られていた。
麗奈は刀を見ていたくないらしく、理安同様に目を閉じていたが、光慈は目を動かして男達を見たり部屋を見回したり、時々理安の方も見た。思ったより余裕である。
しかし、これは捕まってからずっとそうだった。
変わったのは、二度目の伝令に女中がまた使われたため、この部屋には男達と理安、麗奈、光慈しかいないという点であろう。
けれどそうなったのも随分前のことだ。今、変わったわけではない。
それなのに。何だか空気が変わった気がしたのだ。
そろそろ転機が訪れるのかもしれない。
理安はさらしで巻きつけられた小桜をいつ抜くべきか、考える。
部屋の壁を背にした男達に背後から攻撃はできない。
速攻が良いが、人質のある室内、敵三人の状況は自分一人では困難なのは分かりきっている。
ならば、せめて一人が消えるか注意が少し逸れればいいのだが。
とにかく、何か起きたとき、二人を助けるための攻撃ルートを考えておかなくては。
まずは右手にいる麗奈を先に助けて……。
よし、と理安は心の中で頷く。
後は、その瞬間が来たら遅れることなく実行すれば良い。
これが片付いたら団子を食べに行こう、と理安は思った。





当然渡された屋敷の地図には、犯人や人質の配置が描かれていた。状況説明もある。
本当に、呆れるほど優秀な諜報能力だ。
それによると、どうやら理安は手を縛られて柱に括り付けられている。だが、それは問題ない。おそらく解いているはずだ。
むしろ、人質二人に重点を置いて彼女を放置しているのには大助かりだ。
わざわざ助けなくても、即戦力になるのだから。
リビングに続くドアは三つ。
一つは台所から。
二つは異なる廊下から。
最も敵に近いドアは、廊下からのもののうちの一つ。
犯人達の右斜め前にある。
俊之介はそのドアを目指した。





突然ドアが、開いた。
理安から見て左手前方のドア。
男達から見たら右斜め前。
男達と麗奈、光慈の注意がそちらに向く。
―――――――今だ。
考える時間を作らず、反射的に理安は小桜を抜き、男達に向かって走っていた。

「何だてめえ……あ!!」

光慈を捕らえていた男が闖入してきた俊之介に何か言おうとした時、横に理安がいることに気付く。
既に彼女は麗奈を取り戻していた。
そして、麗奈を捕らえていた男は、腕に深い傷を負わされていた。
間髪入れず小桜が両太腿にも走る。
反撃の暇さえなく、男は痛みのあまり絶叫しながら崩れた。
理安は麗奈の縛られた手を引っ張り、守るように自分の後ろに押しやる。
その頃にはもう、俊之介が光慈を捕らえていた男のアキレス腱を斬り、そのままボス格の男に迫っていた。
二人の手の縄を斬り、逃がすように背を押しながら、理安は思わず叫ぶ。

「俊之介さん、銃!!」

麗奈はハッとしたように俊之介の方を見たが、光慈はそんな姉の腕を少し乱暴に引っ張って外へ逃げる。
今何をすべきなのか、彼ははっきりと分かっているらしい。

「死ねぇ!!」

二丁の銃を構えたボス格の男は、俊之介に黒光りする二つの銃口を向けて撃った。
ガアァン………!!
ひどく耳障りで破壊的な音が屋敷中に響いた。

「俊之介さん!!」

理安の目には、俊之介が後ろに倒れたように見えた。
しかし、俊之介は手を床につけるとそのまま足払いした。

「ぐあっ!」

ボス格の男の足元が少し崩れたところへ、時雨が走る。
鋭い一閃。
一瞬、男は自分の身に何が起こったか分からなかった。
しかし、すぐにそれは熱い痛みと共に解消された。
ゴトッ、という重い音がした。
男の両手、手首から先が斬り落とされていた。
両手と、それらが持っていた銃が床に転がる。

「ぐあああああ……!!」

悲鳴が上がる。
男は膝を折って、腕を抱えるように崩れた。
理安の顔は強張ったままだ。
俊之介は丁寧にその男の足の腱を斬ってから理安の前にやって来た。
揶揄うような笑みを浮かべて。

「どうした?固まってるぜ、ぼうず?」

ぽん、と左手を理安の頭に置く。
すると、そこから何かが伝わったかのように理安はやっと表情を取り戻し、詰めていた息を深く吐き出した。

「俊之介さんが撃たれたかと思って、心の臓が凍る思いがした」

伏せた長い睫毛が震えている。心底心配していたのだろう。
その様子に俊之介の笑みは僅かに苦笑の色を帯びた。

「俺は銃の相手との戦い方も知っているからな。そんなトロい事はしねェよ」
「そうなのか……ん?」

頷いてから、理安は少し怪訝な顔をする。
そしてじっと俊之介を見る。
濡れたように光る黒い瞳は、どれほど斬っても血を浴びても、一切の穢れを知らないかのように綺麗だった。

「銃との戦いって、銃弾を斬らないのか?」
「…あァ?」

さらりと理安は人間業ではないことを言った。
俊之介は理安の真剣な表情に本気を感じると、頭痛がしてきた。

「……氷水はそう戦うのか?」
「そうだ。いつも敵に迫りながらも斬ったりかわしたりしている」

理安は当然、といった様子だ。その事象のおかしさを微塵も疑っていない。
立派過ぎる父親を持つと、こんなところに弊害が生じるらしい。

「それはてめェの父親しかできねェよ。……おっと、来たか」

俊之介は駆け込んでくる足音を聞きつけ、その音の方に目を遣る。
麗奈達を逃がしたドアから周平がやって来た。

「副班長お疲れ〜。もうすぐ2班の連中来ちゃうよ」
「だからてめェが真っ先に来てくれたんだろ?」

余裕の俊之介にまぁねぇ、と苦笑する周平。
しかし理安には何のことだかさっぱり分からない。
そんな理安のために、周平は説明してやることにする。絶対に俊之介からは言わないであろうから。

「副班長はね、警察隊としてじゃなく一般人として助けに来たんだよ。犯人が警察隊員は入れるなって言ってきたから」
「あ、だから私服なのか」
「そう。でもね、こんな破天荒で無茶苦茶な人でも一応うちの副班長だし、これ、本当は2班の事件だから。いくら一般人として来たと言っても他班の仕事を勝手に片付けたってのは良いことじゃないからね。俺が片付けたってことにして副班長にはこっそり帰ってもらうの」

俊之介は憮然としたまま黙っている。
俊之介への酷い、しかしあながち間違っていない評価に理安は笑みが零れた。
しかしその表情もすぐに曇る。

「でも鳥居さんが片付けたとしても、2班の事件を11班が片付けるのはやはり問題だろう?」
「ん?何のことかな?」

周平はとぼけて、理安の頭を優しく撫でる。

「俺は昔から可愛がってる親しい子を助けるために来たんだよ?これは理安ちゃんの人質事件でもあるんだからね」
「…あ」

確かに、そういう言い方もできるのだ。一応人質という身分だった理安は、ただ犯人を倒すことしか考えていなかったけれど。

「あと、副班長は責任ある立場だけど、俺は平隊員だからね。そんなに痛い事はないんだよね〜」
「悪ィな、周平」

俊之介はそう言ってさっさと部屋を出ようとし。
思い出したように理安を振り返る。

「ぼうず、後でな」
「?あ、うん…」

そして俊之介は出て行った。
その背を見送ってから、理安は昔から知っているおじさんに問う。

「そういえば、鳥居さんは何時から侵入してたんだ?」
「どういうことかな?」

笑顔だが、黄色いレンズの奥の目には測るような光がある。

「銃声が聞こえてから入ってくるにしては早すぎる。というか、警察隊は銃声がしてから乗り込んできたはずだ。だから、鳥居さんはそれより前に来たのだろう?」
「理安ちゃん、良い読みをするようになったね〜」

嬉しそうな声で、そうだよ、と周平は肯定した。

「副班長がね、実は屋敷に入った後に一度少しだけ窓を開けたんだ。11班が待機してる場所から見える窓をね。それが合図だと思ったんだよ。副班長は多分俺が気付くって分かってたんだ」

あの人はああ見えても賢いからねぇ、とのんびりと周平は言う。
少し失礼な言い方ではあるが、しかしそれは周平も俊之介を認めているということだ。
もし、いざ理安が俊之介の立場になったとして、そんなことにまで気が回るだろうか?
いや、絶対に無理だ。
刀だけでなく、こんなところにも理安と俊之介の間には差がある。

「そうか…」
「そうなの。あ、麗奈ちゃんと光慈君にはここに来る時会って、口裏合わせといたから心配しないでね」
「サングラスとヅラでもやるな、鳥居さん」
「え、理安ちゃん、その言い分酷くない?」

その頃、やっと2班と11班の班員達がやって来たのだった。




結局周平が全て倒した、ということになった。
理安が戦ったことも敢えて伏せたのは、色々と面倒だったからだ。
そもそも花園院家が目的だったので、理安は少し事情説明をしただけで解放された。
署にも行かず現場で解放されたのだから、かなり幸運だったといえるだろう。
警察隊員に心配され、家まで送ろうか、と言われたが、適当な嘘を並べて断った。
一人でないと、駄目なのだ。
屋敷から出る前に、別室で事情を話す麗奈と光慈を見掛けた。
二人とも理安に気付き、麗奈はウィンクしてくれた。麗奈らしい魅力的なそれに、トラウマになっていないか少し心配だったが杞憂だと知れた。
光慈にいたっては、警察隊員に人見知りしているかと思えば、理安を見てしっかり頷いた。
姉を守るという気持ちと、ショック療法で気弱さが治ったのかもしれない。
そこにいたのは、一人の立派な男子だった。
結果オーライかな、などと考えつつ、屋敷を出て、西洋風の厳つい門へと向かう。
門の前には、墨色の和服のままの俊之介がいた。
夜の闇に溶けてしまいそうな色なのに、理安の目ははっきりと彼の姿を捉えた。
警察隊の服ではないのが珍しいからかもしれない。

「よゥ、ぼうず。誰か送ってくれねェのか?」

俊之介は手を組んだまま理安の方に向かって歩いてきた。
理安はふわりと微笑む。

「後で、と言われたから。断って一人で帰らせてもらうようにしたんだ」
「断ったぐらいでこんなガキを一人で帰させるとは、警察隊も怠慢だな」

当の警察隊員が手厳しく非難した。
それが可笑しくて、理安はクスリと笑う。

「じゃ、そーだな……」

俊之介は夜空を見上げ、それから理安を見た。

『団子を食べに行くか?』

二人の声がハモる。
目を合わせ、理安は嬉しそうに笑う。俊之介は口の片端を吊り上げ笑む。

「帰りはちゃんと送ってやるよ」
「頼む」

他愛ないことを喋りながら、二人は並んで歩き出した。
空には、微笑んだ口元の様な形の月が浮かんでいた。

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