戻る  次へ  GALLERYへ戻る

広い敷地だ、と俊之介は感嘆半分、呆れ半分に思った。
理安の家の敷地も無駄に広いが、あれは小山を切り崩し均したからであって、目の前の家のように平地に大きく土地をとっているわけではない。
煙草の煙をふーっ、と闇色にすっぽりと包まれた空に向けて吐いてみた。
白い煙は闇に飲み込まれるように夜空に虚しく霧散する。

「副班長、何だか暇そうだねえ」

頭を撫でつけながら、のんびりとした声と共に周平がやって来た。
今日は黄色いレンズのサングラスをしている。

「ここに待機してからだいぶ時間が経っているからな」
「……まだ30分だぞ?若者は気が早いねぇ」
「年寄りと違ってそんなに長い時間生きてねェからな」

冗談で応じながらも俊之介は溜息の混ざった煙を口から漏らす。
以前所属していた5班も待機は多かった。
しかし、既に体は11班の即攻撃、即解決に慣れてしまい、待つ時間に飽きてしまう。
それに何故か今、胸騒ぎとは別の、どちらかといえば良い予感がしている。ともすると心が躍ってしまいそうな。
それを落ち着けるのに煙草は最高だった。

「そういや周平、てめェが職務を全うしているなんて珍しいじゃねェか」
「何を言っているんだい副班長。俺は自分の家の近所の平和のためなら、おユキに万一危険なことがないようにいつでも戦うぜ?」
「地域限定してんじゃねェボケ!!」

反射的に俊之介は刀を抜いて周平に斬りかかっていた。

「うわっ、副班長、マジ危険だって!!」
「あ、副班長ーー!!」

そこにタイミングよく平次がやって来た。
まだ着慣れていない制服を着た姿がこちらに駆けてくる。

「どうした平次?」

刀を鞘に納めつつ俊之介は問う。
その後ろでは周平がほっと胸を撫で下ろしていた。
平次は自分も時々斬りかかられているため、きっちり刀がしまわれきるのを見てから俊之介に近付いた。

「詳細情報が少し入りました」

俊之介はその鋭すぎる目で射るように平次を見る。
真剣になったのだろうが、その鋭さにいつも周平と班長以外の班員は背筋が凍える。
何とか平静を装いながら、平次は促されるままに先程入手したばかりの情報を伝える。

「犯人側の要求を主人夫婦はのむそうっす」
「えっ、そういう事件だったの!?」
「しゅ、周平さん…」
「てめェ、どんな事件かも知らずに来てやがったのか!?」

思わぬ周平の言葉に二人は呆れる。
もうすっかり短くなってしまった煙草を携帯灰皿にしまい、俊之介は周平を向く。

「押し入り強盗だ。その上人質をとって高額の金を要求してきてやがる。間違ってもてめェんちには犯人はやって来ねェから奥さんの心配をする心配はねェよ」
「な〜んだ。おユキが安全なら来て損したなぁ…」

ぶつぶつ呟く周平の頭を俊之介は刀の鞘で小突く。
ごっ、といい音が響いた。
流石の周平も呻いて頭を抱える。そして、ちょっぴり恨めしそうに俊之介を見た。
と、言ってもサングラス越しでその眼はよく分からないが。

「いった〜。老人はいたわりたまえよ、若者!」
「警察隊は市民のためにあるんだ。てめェの奥さんのためなのも良いが、その使命を忘れんじゃねェ」
「………!!ふ、副班長が真面目なこと言ってます……!!」
「平次、犯人斬る前に試し斬りだ」

瞬時に時雨を抜き、俊之介は平次に斬りかかった。

「ギャーーーーーー!!」

髪を数ミリ斬られ、はらはらと自分の目の前を舞っていくのを捉え、平次は真っ青になる。
慌てて周平の陰に隠れた。
俊之介はまるで何事もなかったかのように刀を納め、周平に言う。

「ま、両替屋とかじゃなくこの家を狙うたァ、なかなか知能犯てことだ。要求額を惜しみなく出せるのはこういう家だろうしな」
「確かにそうだねぇ」

西洋建築の離れがいくつもある屋敷をちらりと見て、周平は同意した。
夜の中に佇む屋敷は、明かりが一部屋も灯っていない。
日が沈んでしまったため、黒々とした塊に見える。不気味さを見る人々に印象付ける姿だ。

「あ、そうだ。副班長、人質は三人いるんすよ」
「…三人?」

訝しげに言葉をそのまま鸚鵡返しにした俊之介に、はい、と平次は頷く。

「人質は家の子供二人とその友人らしいっす」
「誰だ、その友人てェのは?」

平次は伝令の紙を見る。

「えーっと、学生っすね」
「そいつも金持ちなのか?」

そうなると更に金額を要求されることも有り得る。
厄介だな、と俊之介は思った。

「さあ?そこまでは調べがついていませんが…。犯人が伝令に使って追い出した女中から聞いたから、名前があったはず…」

紙を必死に眺め、あ、と平次は一際大きな声を上げた。

「あ、あった。氷雨理安という子らしいっすね」
「……あァ?氷雨理安だとォ?」
「ひぃ!ふ、副班長、いつもより目付きが悪いっすよぉ!!」
「うるせェ!…ったく、あのバカ、さっさと犯人倒せってんだ」
「へ?」

理安のことを知らない平次は、俊之介の発言に何とも間の抜けた声を出す。
対して周平はのほほんと苦笑し、俊之介の目付きはますます険悪になっていく。

「その理安て奴はな、ガキのくせに桁外れに強ェんだよ」

もはや戦う気も失せ帰りたくなってきた俊之介は、通報してきた花園院夫妻に文句を言いたくなる。

「警察隊より先に氷水怜真に通報しやがれ」

その方がすぐに解決したはずだ。
俊之介の独り言が聞こえたのか、周平は俊之介の肩を軽く叩いた。

「警察隊がそれを言っちゃあいかんぞ若者よ。それに、こっちに通報してくれたから、理安ちゃんと会えるんでしょ?」
「そりゃどういう意味だ、周平?」

不機嫌な声の俊之介に、平次はビクリと体を震わせるが、周平はただカラカラと笑う。

「だーって、副班長ってば理安ちゃん気に入ってるんでしょ?理安ちゃんも物凄く懐いてるしね、珍しく」

確かに気に入っていなければ、一緒に甘い物を食べに行く約束などしないだろう。
まだ、一度も行ってはいないが、それでも行く気はあるのだから理安を気に入っているのは明白だ。

「……さァな」

敢えて肯定せず、俊之介は辺りを見回す。
探し物はちょうどやって来るところだった。
それに向かって俊之介は軽く右手を挙げた。

「よう、悪ィな仁兵衛」

仁兵衛も11班の班員である。権太と仲が良い。
細身で、背はそれほど高くはない。権太とは対照的だ。

「はい、副班長に頼まれたやつ」

一度は現場に来た仁兵衛に俊之介は用事を頼み、現場から離れさせた。
手渡された風呂敷を広げると、男物の着物があった。

「副班長、それをどうするんだい?」

周平が風呂敷を覗き込んできた。
俊之介は口の片端を軽く吊り上げる。

「俺は非番だから、今日は一般人だ。つまり、乗り込んでも警察隊は入れるなっていう犯人の指示に背いてねェ」
「無茶な理論っすよそれ…」

平次が困ったような、呆れたような顔と声で言う。
仁兵衛も平次と同様の表情を浮かべている。
周平一人だけがどことなく愉快そうな笑みを浮かべた。年の功というものであろうか。

「だからこれは強硬手段、つまり時間が差し迫ったときのために用意させたんだ。最初からこの方法をとろうとは思ってねェよ。だが、ぼうず…理安がいるとなれば話は別だ。俺は敵を倒すことだけに集中できる」

ニヤリ、と笑みを浮かべ俊之介は着物に着替えに立ち去った。

「……どうしましょう、俺達は?」

平次が困惑を隠せないまま周平を見る。
この三人の中では周平が1番古株で偉い。

「ん〜、多分理安ちゃんと副班長が片付けてくれるよ」
「はあ……」

暢気な周平の言葉に所在なげな顔をして平次と仁兵衛は顔を見合わせた。





光慈が剣を持ってきて、いざ稽古場へ移動しようとした時だった。
離れの方から複数の人間がやってくる気配がした。
振り向けば、荒々しく入ってきたのは女が二人と男が三人。
二人の男が女たちを捕らえ、一人の男が後ろに立っている構造だ。
男たちは皆顔を覆面で隠しているため人相は分からないが、後ろの男が一際背が高い。前の男たちの頭の向こうに顔が見えるほどだ。
威圧感も他の二人よりあるところを見ると、ボス格だろう。

「花園院麗奈、光慈だな」
「その前にあなたたちが名乗るべきでしょう!?」

持ち前の強気で麗奈が言った。
すっ、と背の高い男の目が細められる。

「生意気を言うな。それ以上余計なことを口答えするとこの二人を殺す」

ボス格の男の言葉に合わせ、二人の男が刀を女たちの首にあてた。
女達は真っ青な顔で悲鳴を上げる。
それには堪らず麗奈も蒼褪めた。

「やめて!!」
「なら、こちらの言うことに従ってもらおう」
「分かったわ……」

悔しそうに麗奈は頷く。
光慈が心配そうに姉を見た。
理安は、黙って事態を見守る。そうすることしか、できなかった。

「ではまず光慈、その剣をこっちに投げろ」

ちっ、と舌打ちして光慈は剣を男達の方に投げた。
逆らいたいのだろう、しかし人質がいてはそれも儘ならない。
ボス格の男がそれを拾った時、理安は男の腹のさらしに銃が巻きつけてあるのを見た。黒く光ったそれは禍々しい。
しかも、二丁だ。

「それからそこのガキ、部屋の隅に下がれ」

理安も仕方なく指示に従う。といっても、もともと隅の方にいたため二歩下がるだけだったが。
今はまだ動けないから、様子を見るしかない。
自分に言い聞かせつつ、理安は焦ってしまいそうな心を落ち着ける。
それから男は一人の女の手足を縛って転がし、麗奈と光慈を代わりに人質にした。
理安も手を縛られ、部屋の隅の柱に縛りつけられる。
ボス格の男はもう一人の女に何やら紙を渡した。

「それを主人夫妻に伝えろ。家の外からだぞ」

特別に大きい声でもないが、有無を言わせぬ強い声だった。
怯えながら、しかし女は心配そうに麗奈と光慈を見る。

「早くしろ!一方を殺してもこっちは全然構わないんだ!」

怒鳴られたその言葉に女は慌てて出て行った。
まずいな、と理安はもぞもぞと手を動かしながら状況分析をする。
これは明らかに身代金目当てだ。
床に転がされた女は次の指示用だろう。
銃を持っているし、人質二人には既に刀があてられている。
ここから助けに走るのは危険だ。
理安は犯人たちの様子をそっと窺いながら諦めたように手を動かすのをやめた。
するり、と縄から手が抜けた感覚。
ばれないように縄を手に握り、たるんだり落ちたりしないようにする。
状況はしばらく膠着するだろう。
動くとしたら、金のやり取りが行われる時か、警察隊が突入した時か。
三人男たちの技量は大したことないのだが、銃と、やはり人質というのが痛いなあ、と思う。
父怜真ならそれでも瞬時に倒せるだろうが、理安はそれほどの実力もないし、はっきり言って屋内の動きは得意ではない。
犯人たちまでの距離は10メートル程。
走って斬りかかって…無理だ、とシミュレーションで結論付ける。
一歩でも動けば二人の首筋にあてられた刀が食い込むに違いない。
自分の実力不足が酷くもどかしかった。
強くなりたい、と思う。
このような状況を打破して、二人の友人と一人の女性を傷付けずに助けられるような。
それは父上のような、あるいは―――――――俊之介さんのような。
あれ、と口の中で理安は呟く。
どうして突然俊之介の名前が出てきたのだろうか。それも、無意識に。
甘い物を食べ歩く約束をしてまだ数日。
昨夜、妖刀退治のときに出会って、今日食べ歩くか、と誘われたのが一番最近彼と会った時だ。
ふと、何か不思議な感覚が雷のように体内を駆け抜けた。
それは、予感だ。
理安はそう確信する。
何故か、悪くない予感がする。
ひょっとしたら、俊之介に関することだろうか。
微かに口元に笑みを浮かべ、理安は気長に事態が動くのを待つことにした。
焦りそうだった気持ちは綺麗さっぱり消えてなくなっている。
ふと窓の外に視線を向ければ、夕日が見える。
部屋の明かりが、消された。
屋敷は外より一足早く闇に包まれる。
そして、外にももう間もなく夜が訪れようとしていた。