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一羽の大きな鳥が空から舞い降りてくる。
空の一部を切りとってきたかのような青い、長い尾が印象的だ。
胴の色は薄紫である。
庭に出た理安は空に向かって左手を差し伸べる。
その手に、当然のように鳥は止まった。
黄色い足に括り付けられた手紙を取ると、鳥はクエッと軽く一啼きする。

「ご苦労様、葵」

理安が家に戻りながら労うと、葵は満足気に目を細めた。
葵を左肩に移動させ手紙を開き読み進めると、理安の表情は明るくなっていく。

「……父上!!」

思わずといった様子で足が速くなり座敷に走って入ると、怜真は座ったまま顔を静かに理安に向ける。

「泉から連絡がきたのか」

肩の葵という鳥は英泉の所有する鳥だ。
正確に言うと、英家所有の鳥だ。
呪術師の家系の英家には、このような不思議な能力のある鳥がいても理安は何も思わない。
むしろ、当然のことのように思える。
相手がどこにいようと適確にその人のところまでたどり着く鳥は、葵以外に桔梗という鳥がもう一羽いる。
こちらは今、おそらく泉のところにいるのだろう。

「うん、そうなんだ。はい、父上」

何故分かったのかと愚問を返さず理安は頷いて肯定すると、手紙を渡す。怜真だから分かったのだ、と理安は当然のように知っている。
それからそっと葵を怜真の肩にとまらせた。
こんなことがさらりとできるのはこの世に理安一人だけだろう。
怜真の父親の龍漸も、弟の戒でさえもできはしない。怜真の持つ見えない何かに阻まれるかのように。

「父上、葵を頼む。私はこれから友達の家に遊びに行ってくるから」

笑顔で言えば、怜真が頷く。理安にしか見せない優しさを滲ませて。

「気を付けて行ってきなさい」
「はい!!」

怜真の声を背に、理安は座敷を慌ただしく走り出て行った。





栗色の豊かな髪をアップに纏め上げた、少し気の強そうな少女。
理安と千代の友人で、麗奈という。
西洋の赤いワンピースを着た少女に、理安はリビングへと案内された。
流石は貴族の家だけあって、調度品はどれも高そうである。千代がいたら間違いなく「目が眩みそう」などと言っただろう。しかし残念ながら千代は趣味に没頭して出てこなかったので、理安一人である。
何とはなしに見回せば、艶やかな飴色の木材を基調としたものが多く、また深みある色合いのものがメインに置かれていて、華美過ぎないセンスに家の主人の気品が偲ばれた。

「理安はちょっとここで待っててね」

大輪の赤い花のようなスカートをふわりと翻し、麗奈は家の奥に去っていった。
理安は何度か遊びに来たことはあるが、その度にこの家は広いと思わせられる。しかも、今日は両親が出掛けている。女中も離れに引っ込んでいるとのことだから、本邸のこちらにはいないのだ。人口密度が低いな、とちらりと思った。
そういえば、今この家にいるのは麗奈と私と、――――。

「お待たせ、理安」

麗奈が戻ってくる。
後ろに一人の少年を従えて。
まだ14、5歳くらいだろうか。栗色の髪が少し長めに切りそろえられた、品のいい少年だった。

「ほら、これがあたくしの弟よ。家族と女中以外の女性には怯えて、もうホント駄目なのよ」

溜息混じりにズバッと言い切る麗奈に苦笑し、理安は姉と違って気の弱そうな、でも顔だけはひどく麗奈に似た少年に笑いかけた。

「初めまして。氷雨理安だ」
「は、花園院光慈です。あの、あなたは、じょ、女性の方ですか……?」

姉の背に隠れたまま尋ねる光慈に、理安は重症だな、と思う。
光慈くらいの歳であれば、社会に出て働いている者だっている。それなのにこのような態度だ。

「どう思う?」

謎めいた笑みを浮かべ、理安は光慈を見た。
麗奈より高い背を無理やり押し隠したままの光慈を、とうとう痺れを切らした麗奈が前に出させた。
僅かによろめいて、それから光慈は心細そうに恐々と理安の顔を窺う。

「お、男の方に…」
「なら、そうなのだろう」

理安は否定も肯定もせずに流す。
そもそも、理安が今日麗奈に呼ばれた最大の理由は、この弟の女性への苦手意識を減らしてほしいと頼まれたことだった。
普段男装をしていて、見事に世間を騙している理安は確かに適任だろう。
だが、と理安はずっと目を合わせようとしない光慈を見て決める。

「今日は麗奈にはあなたを女性に慣れさせて欲しいと言われたんだが……それよりまず、その人見知りを治さないといけないな」
「えっと…はい」
「頼んだわよ、理安!」

戸惑うような声の光慈とは対照的に、麗奈が強く言う。

「女の子相手だと、この子ったら隠れるほど重症なんだから」
「ね、姉様!!」

恥ずかしい一面を姉に暴露され、光慈は真っ赤になって後ろを振り返った。

「本当のことでしょ。理安、今日はお父様もお母様もいないから、ちょっとぐらい外に連れ出しちゃっても良いわよ」

さらりと弟の非難をかわし、麗奈は理安に提案した。
うーん、と理安は呻く。

「それは光慈さんが私に慣れてから、だな。そうそう、麗奈と区別するために名前で呼ばせてもらう。それと、」

理安は光慈の服を指差す。

「今は良いが、外に出る時、洋服では駄目だ。良家の者だと言っているようなものだからな、物盗りやゴロツキに狙われる。私のような動きやすい着物はないか?」

藍色の自分の着物を示し、理安は麗奈と光慈を見る。
麗奈は笑顔で軽く頷いた。

「後で離れにいるおタマにでも言って用意させておくわ」
「ああ、そうしてくれ。
ところで光慈さん、あなたは何か特技とかあるだろうか?」
「と、特技ですか?」

突然の問いに戸惑いを隠せない光慈に理安はそうだ、と頷く。
理安としては、とりあえず光慈の緊張や心の壁を取り去るために、思い付いたことが特技を見せてもらう、というものだったに過ぎないのだが。
麗奈が困惑したままの弟を肘で突いた。

「光慈、あれでしょあなたは」
「うぅ……」

俯いて呻く光慈の顔を理安は何の気なしにひょいと覗き込んだ。

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!??」

驚いたのか、光慈は物凄いスピードで壁まで後退った。
理安は目を大きく見開き、二、三度パチパチと瞬きをした。

「麗奈…これはかなり重症だな…」

呆れたように呟けば、麗奈も呆れたように、しかし何故か理安の方を見て溜息を吐いた。

「今のは理安が悪いんじゃないかしら?」
「え?何故だ?」

全く理解できず、理安は首を傾げる。
その様子に麗奈は更に深い溜息を吐いた。頭痛がしているかのように、眉根を寄せている。

「校内にファンクラブまで作られている身でその鈍さはどうなのかしらね……ま、そこが理安の良いところだけれど」

確かに、理安には同学どころか上級下級問わずファンがいる。
こちらが知らなくても挨拶されるし、挨拶を返せば黄色い声が上がる。
しかしそれは理安が女子だけの空間において最も男子に近い存在のため、少し他の子たちとは違う目で見られやすいからだと思っていた。
それに、理安は体育の授業でどうしても活躍してしまう。
運動のできない良家のお嬢様たちはそういう存在に憧れやすい、というのもあるだろう。
そう言えば、麗奈は何かを振り払うように優雅に首を振り、光慈を手招いた。

「あなたの顔はね、至近距離で見るとちょっと心臓に悪いのよ。綺麗過ぎて、ね。見慣れてる私でもそうなんだから、この子じゃ相当厳しかったんじゃないかしら」

理安は困ったように顔を顰める。
綺麗とかそういうのは、主観に基づいた外見に対する判断だ。
理安は自分を綺麗などと思ったことなどないし、そもそもそんなものを望んではいない。彼女が欲しいのは、内面から溢れる美しさだ。
そう、それは例えば怜真のような。

「ま、理安のせいにするのも酷なのだけれど、ね」

理安にそう笑いかけてから、麗奈はちょっぴり厳しく光慈を見た。

「あなたも、いつまでも黙っていないで、ほら、さっきの質問に答えてあげなさい」
「う、うん…。その、西洋剣術を嗜んでいます」
「ふふっ、こう見えてもこの子、かなりやるのよ?」

気弱に答えた光慈と対照的に、誇らしげに麗奈が言った。
弟さんが可愛いんだな、と頭の片隅でちらりと思い、理安は微笑ましい気持ちになった。
千代という存在のいる理安でも、仲の良い血の繋がった兄弟の存在というのはとても羨ましい。

「西洋剣術か。流石は外交官の家だ、面白いものをやるな!」
「理安、あなた、手合わせしてみたら?」
「私と、か?」

理安は光慈を見て、ちらりと悪戯めいた笑みを閃かせた。

「私は、かなり強いぞ?」
「負けません」

対する光慈もキッパリと言った。
その眼差しの強さは先程までの態度とは一変し、とても同一人物とは思えない。
それほどまでに、自分の実力に自信があるのだろう。
理安を見る真っ直ぐな眼差しの中に、挑戦的な光と高いプライドを確かに捉えた。

「麗奈、手合わせする場所はあるか?」
「ええ、剣術稽古場があるわ」
「分かった」

麗奈の言葉に理安は満足そうに頷く。
西洋のものだろうと、自国に伝わるものだろうと、剣術を学ぶ者同志。
そこに一切の壁は、ない。

「では、小刀しかないが、相手をさせていただこう」

着物の上からそっと小桜に触れ、理安は光慈を真っ向から見据えた。





時計の針がちょうど午後の五時を指し示すと同時に、俊之介は部署に入った。
既に班員は揃っていた。思い思いの形で待機している。

「あっれ〜?副班長、今日は珍しく来るの遅いっすね」

一番若手にして下っ端の平次が、自分の席につく俊之介に言う。
平次は今年三月に警察隊養成所を卒業し、四月に入ったばかりでまだ16歳である。
自己紹介された時に、無意識に俊之介はぼうずと同い年か、と呟いてしまったことは記憶に新しい。

「バカ野郎、今日俺は非番だ」
「あ…そうでした」

俊之介は早速胸ポケットから煙草を取り出し、口に咥えて火を点けた。

「あれ?じゃあ何で副班長、来ているんですか?」
「他にやることねェからな」

俊之介だって、来るつもりはなかったのだ。
本当は理安を誘って食べ歩こうと思っていたのだが、今日は友人の家に遊びに行くから、とひどくすまなさそうに断られ。
他にやることも思いつかなかったのでつい来てしまったのだ。
花街に出掛けることも考えたが、それよりも事件を求めてしまう自分は刀からは離れられないらしい。
分かってはいたが改めてそう思うと、俊之介はいつもより少しタバコの味を苦く感じてしまった。

「でも、今日は暇みたいっすけどね。あ、でもさっきなんか2班が動いてたようっすけど」
「2班が?」

平次の言葉に俊之介は右眉を僅かに動かし反応した。
2班は要人警護を主な職務とする。
それがもし予定もなく動くことになったとすれば。
俊之介は口元に薄く笑みを浮かべた。
それは限りなく冷酷に近いものだった。

「ふ、副班長…?」

背筋を冷たい氷が滑り落ちていったような、ゾクリとした感覚を呼び起こされ、怯えた声を出してしまう平次を俊之介は見る。

「平次、出動の用意をしておけよ。おそらく応援の要請が来るぜ」
「え…?」

戸惑う平次の左肩に手が置かれる。
平次が振り向いた先には、先輩にあたる権太がいた。
よく日に焼けた巨漢の権太は、立つだけで敵を威圧できる。

「副班長の言うことはよく当たる。言う通りにしておけ、平次」

この11班の一員となった時期は平次より半月ほど早いだけに過ぎない。
それなのに、俊之介は既にこれほどまでに班員達の信頼を得ている。
先程まで寝たり遊んだりしていた班員達も、いつの間にか出動の準備にとりかかっている。

「分かりました」

俊之介への尊敬の念を胸に抱きながら、平次は頷いた。




果たして、俊之介の予想は15分後に的中した。