二人はただ黙って理安を見ている。
男は無情で強いその目のままに。女は、幼い子供をあやすような眼差しで。
声の余韻さえも溶け消えて、再び静寂が戻ろうとしたとき。
クツクツ、と。
男は俯き、肩を震わせて笑う。
「何故、だと?」
刀を女が回収し、男に手渡した。
理安はそれを素早く観察する。
それは、確かに妖刀だ。まだ、その力も残っている。
「この男が刀に呑み込まれそうだったからさ」
「なら!刀を手放させれば、あの状況では十分だったはずだ!!」
「成程。それが、狩人の意見か」
にぃ…、と笑う男。
理安は背筋の凍る思いがした。
「私は、違う。使えない奴など面倒だから殺せば良いと思うのだがね」
「面倒、だと…?」
理安は一際鋭く睨む。
彼女の触れてはならない琴線を掠ったのだ。
「そう。そもそもこの刀は私達が彼に貸した。だから、彼が生きていると私達の情報が流れてしまう。面倒なことになるだろう?それに、腕を斬るより斬り捨てる方がずっと楽だ」
だから、面倒だというのか。
理安は姿勢を低める。
「―――――斬る」
いつもより幾分低められた声には静かな怒りが籠められている。
声と同時に繰り出された刀は、しかし届かなかった。
「おやおや」
男は一跳びで屋根の上へと逃げた。尋常な跳躍力ではない。
このような人間離れした芸当ができる可能性など、一つしか思いつかない。
しかし、彼の刀からは妖刀の気配はない。
普通の刀と普通の人間、なのだろうか。
「短気な坊やねえ」
下に残った女が言う。揶揄するように。
理安の方へやってくると、白く艶かしい手を理安の顎にかけ、くいと上げる。
「でも何て…綺麗な顔なの」
「っ、離せ!」
理安は女の手を乱暴に振り払い、半歩下がる。
おぞましい。敵にあのように触れられるなんて、凄く嫌だ。
理安の意識が完全に女に向いた途端、男の笑い声が場に満ちた。
「幼き狩人よ、何故私達がこの街で刀を撒くか教えてあげよう」
低い声は妖しい夜空に朗々と響き渡る。
「この街は妖の刀が多くやってくるからだ。だから、お前のような狩人がいるのかもしれないな」
「……」
理安は黙ったままだ。
男は首を軽く振る。
「もっともまだ来たばかりで、妖の刀が集まる理由は分からないがね…」
「どうして刀を撒くんだ?妖刀を!」
「妖刀?…ああ、妖の刀のことか。なるほど、まさにその名の通りだ。…ん?理由だったかね?もちろん、…いや、言わないでおこう」
「そうですわね」
女も男に並ぶ。
やはり、跳んで。
その時、理安の脳内に閃くものがあった。
「妖刀の力をおさえこんだな…!」
極稀にいる強靭な精神力の持ち主は、妖刀を捻じ伏せその力を得ることがある。
なら、刀を撒く理由。
それは、仲間作り。
それが何の為かは分からないが。
二人は意味深な笑みを浮かべる。
「勘の良い狩人よ、また会おう」
「ばいばい、坊や」
瞬時に二人は去っていった。さりげなく、肯定して。
理安よりも素早く、気配もなく、文字通りあっという間に。
そこで理安は大切なことを思い出した。
「刀を返せ!!」
無意味だと知りながら、理安は二人が去った方へと叫んだのだった。
じじっと音がして、灯火が揺れた。
「光、どう思う?」
布団の中で横になり天井にゆらゆら揺れる自分の影を見つめながら理安は問う。
「怜真殿は何と?」
傍らに座る光が質問で返した。
お前に聞いているんだ、と文句を言えば怜真に従う、と答えられるのは目に見えている。小さく溜息を吐き、理安はごろりと体を横に向ける。
「妖刀一掃にはむしろ都合が良い―――と言って欲しかったが、」
「関わるな、と言われたのでしょう?」
くすり、と笑みを零し、自信たっぷりに光は言う。
理安は光を見て二、三度瞬きした。
「よく分かったな」
「怜真殿は理安を危険に曝したくないと誰よりも願っていますから」
過保護だと自覚している光ですら、怜真の溺愛ぶりには時々敵わない、と思うほどなのだ。
「でも妖刀を追う限りいつか再会すると思うが……」
「自分から首を突っ込むな、という意味でしょう。正体不明の敵ですから、安易に近付くのは危険です」
「まぁ、な……」
少し拗ねた様子の理安に光は微笑む。
「妖刀を一掃したいのですか?」
「ああ。私の、悲願だから、な」
寂しげな笑みを浮かべ、理安はこれ以上語ることを拒絶するように目を閉じる。
光は灯火を消し、暗闇の中で理安を見つめた。もう寝息を立てている。ここのところ連夜出掛けているのだ。疲れていて当然だろう。
妖刀を撒く輩がいる、と帰ってきて開口一番理安は言った。
それは、衝撃的なことだった。
―――――怜真を除いて。
怜真は一切動じることなく理安と話し合っていた。
動じる、と言えば。
理安が友人邸で人質になり、帰りに俊之介と団子を食べて送ってもらった時の方がむしろ怜真は動じていた。
もちろん表には出さなかったが。
…考えがずれた。とにかく、そんなことが進行している。
それなのに、物理的に理安を助けられない自分に光は苛立ちと歯痒さ、もどかしさを感じるのを禁じえない。
理安の顔が外から零れた僅かな月の光に照らし出された。
どことなく自分に似ている感じがするのは願望だろうか。
強い意志と、刀と共に生きる者なのに酷く無垢な光を宿す瞳は今、瞼の下に隠されている。
人間離れした美しい造形といっても過言ではない顔立ち。
その顔が、少し歪む。
眩しいのか。
光は障子をきっちり閉め、冷気を残して立ち去った。
「―――――さて、」
紅い月の下、海を望みながら男は独り呟く。
「時間の許す限り測らせていただきやしょう、刀の姫様」
男の後ろには一刻ほど前、理安の前で絶命した男の死体が転がっていた。