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氷水家の朝は騒がしい。
正確に言うなら、二人が騒がしくしているのだ。

「千代、起きているか?朝だぞ!!」

玄関から見て、理安の部屋は左奥にある。
そして、右奥の離れには、鷹居堂炎の娘で理安の幼馴染である鷹居千代が住んでいる。
この離れには地下室があり、それが鷹居親子の武器工房と言える。
父親同様、千代も火器銃器の発明が好きだ。ただ、堂炎と違い千代は武器を扱って戦うことはない。
理安の声に応えるように、地下へと続く梯子の下りた穴から千代が顔を出す。
赤い大判布で髪を覆っていて、顔には黒い粉がついている。理安同様しゃれっ気とは無縁だ。

「あれ……もう学校へ行く時間?」
「朝食の時間だ。また徹夜か、千代」

呆れたように理安が言うと、千代は胸を反らせた。

「この天才鷹居千代には、時間はいくらあっても足りないのよ!」
「そうか。ともかく、ご飯が冷めては七枝さんに申し訳ない。急げ」
「そうね、七枝さんに悪いもんね」

よいしょ、と声を出して千代は梯子を上ってきた。
そして二人は食事をする部屋に走って向かう。
勢いよく障子を開けると、怜真と戒、七枝と彼女を手伝う光がいた。
これで、この家にいる全ての者が揃ったことになる。

「おはよう、理安ちゃん、千代ちゃん。千代ちゃん、徹夜はほどほどにするんだよ」

優しい声音で七枝が言う。
彼女は三十前後とは思えないほど。まだ若く見える。
しんなりとしていて細く、どこか物憂げでだるそうな雰囲気は「店」にいた頃の名残だ。
理安が十歳のときから七枝はこの家に住むようになった。以来、家事は彼女と光がやっている。

「大丈夫、学校で寝るから」

学生の本分としてあるまじきことを言い、千代は定められた席に座る。
本当は、一般の娘など寺子屋で十分だ。国も寺子屋までを義務教育としている。
しかし、怜真の伝手で、両家の子女しか通わない高等学校に理安と千代は通っている。
ちょうど、第二学年に進級したばかりだ。

「確かに、千代はほとんどの授業を寝ているな」

笑いながら理安も座る。
それから運ばれた朝食を無言で食し、茶で口を整えると二人は即刻立ち上がる。

「ごちそうさま。―――急ぐわよ、理安!」
「分かっている」

慌ただしく退室し、二人は制服のセーラー服に着替える。流石の理安も男子高には入っていない。
理安はいつもは括っている髪を下ろし、銀縁の眼鏡をかける。
些細な違いなのに、人はこれでいつもの理安と同一視できなくなる。
鞄を手に取り、玄関へと向かう。
千代は革靴を、理安は靴下を鞄にしまって下駄を履く。
冬は寒いから革靴を履くが、基本的には下駄のほうが好きだし、帰りに着替えていつもの格好をしたときには、こちらのほうが都合がいいのだ。
もちろん、校則違反である。
しかし、以前登校中に不審者を下駄を投げて退治して以来、教師も咎められなくなった。

「では、行ってくる」
「行ってきまーす」

振り返りもせずに、二人は出て行った。
玄関まで見送りに出た戒は苦笑する。

「台風が去ったみたいだな」
「今日はいつもより遅かったから、よけい急いだようだねぇ」

隣で七枝が微笑む。

確かに、いつもはもう少し何か喋るはずの二人が、最小限の言葉しか発さずにつむじ風のように去ったのは相当急いでいたからだろう。
ふと、戒が顔を曇らせた。

「理安ちゃん、ちゃんと小桜持っていったかな……」

小桜は理安が普段こっそり持つ短刀である。元は、幼いときに使っていた刀だが、体が大きくなったので刃を短くして昼の護身用に持っている、当然、戒が作った刀である。
心配そうな戒に、光がやってきて言う。

「さらしを巻くときに、確認していましたよ。だから大丈夫です」
「ホント、戒さんは理安ちゃんに関しては過保護だねぇ」

くすくすと七枝が笑うが、戒は真顔で

「理安ちゃんは俺の命より大切だからな」

と断言する。
彼は、本気なのだ。

「そうだったねぇ。さて、それじゃあ光さん、片付け手伝ってくれるかい?」

踵を返し、七枝は光に問い掛ける。
光は七枝の後についていく。

「ええ」
「あ、七枝。オレはこれから鋼を仕入れに行ってくるぜ。兄貴には言ってある」

その背に戒が言う。
兄貴、と呼ぶが、双子である。全く似ていないのは、二卵性だからだ。

「あいよ、行ってらっしゃい」
「おう」

振り返り、にこりと微笑んで言う七枝に戒は軽く返事をして出て行った。
それを見送り、七枝は光に笑いかける。

「さぁて、あたいたちも始めようかしらねぇ」

光も微笑む。
いつもの朝が始まろうとしていた。





「ほら、理安。完成したのよ」

得意げに胸を張り、千代は一見キーホルダーに見える物を理安の前に突き出す。
金属製のそれは、立方体に金具がついたシンプルなものだ。

「珍しく授業中起きていると思ったら……こんなものを作っていたのか」

物珍しげに理安はキーホルダーを見つめる。
手の中で握りつぶせそうなほどの立方体に、自分の顔が映った。
不思議そうな様子が顔にありありと出ていて、自分の分かりやすさにちょっと苦笑した。

「こんなもの、とは言って欲しくないわ!この天才鷹居千代の記念すべき972番目の発明品よ!!」
「そのうちのほとんどが失敗作だがな」

理安の手厳しいツッコミもどこ吹く風、千代はさらりと

「失敗は成功の母よ」

などと言って流した。
千代らしいな、と理安は諦観した思いになる。

「それより、今日はあんこ亭の白玉餡蜜を食べに行くぞ」
「ちょっと理安、私まだそれの説明していないんだけどぉ」

不満そうな千代に理安は振り向きさえしない。
長年付き合っているのだ。扱いには慣れている。

「食べながら聞く」
「ホントにあんたは甘いものが好きなんだから……ま、そこが数少ないあんたの女らしいところよね」

溜息を吐きつつ納得し、千代と理安は共に校門を出る。
空は見事な茜色で、もうすっかり夕方になっていた。
道には家々の夕餉の仕度から漂う、食欲をそそる匂いが溢れている。

「ところで理安、まさかこのままいく気?」

外では基本的に男として生活する理安を気遣い、千代は問う。

「いや、どこかで着替える」

着物ならある、と理安は鞄から風呂敷包みを取り出して見せた。
その顔はどこか得意げだ。

「今日は家に帰る時間はないと思っていたからな」
「甘いものに関しては用意周到ね……」

千代が呆れたように呟く。
理安は家と家の間にある、道とは呼べないほどの隙間を見つけ、するりと入っていった。
仕方なく、千代は隙間の入り口に立ち、奥を見られないようにする。

「……早くしてよね」
「もう終わった」

一分経つか経たないかの速さである。
理安が髪を一つに括りながら出てきた。
乱雑にセーラー服を風呂敷と一緒に丸めて持っている。

「ちゃんと畳みなさいよ、まったく」

セーラー服を奪い、きっちり畳んであげながら千代は苦笑した。
いつも思うが、理安は本当に弟のようだ。

「助かる、千代」

理安が透き通るような微笑を浮かべ、言う。
この二人には、よくあるやり取りである。
それから二人はあんこ亭を目指した。




あんこ亭はその名の通り、餡子が売りだ。
自家製の良質の小豆はふっくらしていて、旨い。
理安のお気に入りの店の一つである。
臙脂色の暖簾をくぐると、薄明るい店内が広がっている。
外から見た印象より、店内は広い。そして、混んでいた。
黒いテーブルと椅子がずらりと並べられているが、どれも埋まっているように見える。

「夕方なのに、相変わらずの繁盛ぶりね〜」

店内を見回し、千代が呆れと感嘆がない混ぜになったような声を出す。

「昼だと行列ができるからな。それよりましだろう?」

苦笑して答える理安と千代のもとに店員がやってきた。唯一空いていた奥の方の四人席に通される。
黒い使い込まれた木の椅子に座るなり、理安は白玉餡蜜を注文する。

「ちょっと、早いわよ理安」
「千代はゆっくりと考えれば良いだろう。私はこれが食べたいんだ」

非難をものともせず、品書きを千代に渡しながら理安は出された茶を飲む。
甘味に合うように、少し渋めの茶だった。

「ん〜、じゃあ私は…………同じので良いわ」

店員の方を向き千代は言う。結局理安と一緒になったのは、それがこの店一番の売りだからだ。

「はい、かしこまりましたー」

高い声で店員は去る。
その後ろ姿を見送り、理安は先程のキーホルダーを取り出す。

「で、千代。これは、どう使うんだ?見たところ簡易手榴弾のようだが…」
「さっすが理安!分かってるわね!!」

パチン、と指を鳴らして千代は声に喜色を滲ませる。

「これを鞄につけておけば、いつでもどこでも悪人退治よ!」
「……ちょっとやりすぎな気もするが……」
「大丈夫、火薬は少なめにしてあるし」
「千代の言う少なめは死なない程度、だろう…」

呆れる理安と、一人テンションの上がる千代の前に白玉餡蜜が二つ、置かれた。
途端、理安の目が輝く。

「うわぁ。おいしそうだ……」
「本当にあんたは……うん?」

千代はうっとりしている理安の後方、即ち店の入り口のほうを見てきょとんとする。
目に入ったのは、黒を基調とした西洋作りの服を着た男。
背は高く、只者の目付きではない。
顔は整っているが、鋭すぎる眼光が一見そうとは悟らせない。
男は空席を探してかこちらに向かって歩いてくる。
と、理安の後ろで立ち止まった。

「よう、ぼうず。デートか?」
「―――――――!?」
白玉を口に頬張ったまま理安は目を見開いて振り返る。

「しゅ、……俊之介、さん……」
「――――――――!!」

今度は千代が驚いたように俊之介を見る。
理安が嬉しそうに語ったり、光が気に入らなさそうに喋ったり、戒が散々に言うのを聞いてはいたが、こんなところで本人に会えるとは予想外だった。
しかし、何よりも千代を驚かせたのは、理安が俊之介を名前で呼んだことだ。
彼女は他人を基本的に名字で呼ぶ。
七枝や千代、英泉などの一部の親しい人は例外だが、彼女が名前を呼ぶのは彼女がその実力を「認めた」、ということなのだ。
理安の基準はあの氷水怜真だから、まず名前で呼ぶことはないのだが。
だからこそ、俊之介を名前呼びすることに驚く。

「で、デートではないぞ!千代は幼馴染で、私にとっては姉のような存在だ。そういう対象ではない!!」
「分かった分かった。そうムキになるんじゃねェよ。お前らの雰囲気見てるとデートじゃないのは明らかだからな。
 ところで、満席なんだが、相席していいか?」
「どうぞ、火瀬さん」

千代がさらりと答える。
俊之介は軽く礼を言うと、理安の隣に腰掛けた。

「……初めまして。理安から伺ってます。私は鷹居千代。理安の幼馴染で姉ま…姉弟みたいに育ってきたの」

淡々と千代は自己紹介した。
普段は冷静に話せるんだよな、千代は……。
理安は彼女の天才スイッチが入ったときを思い、こっそりと溜息を吐く。
発明に関して入る天才スイッチは、幼馴染の理安でさえも時々ついていけない。

「俺は火瀬俊之介だ。一応、警察隊第11班の副班長を任されている。…ま、俺が言わなくても知っているだろうが」

左胸のポケットから煙草を取り出しつつ俊之介も自己紹介した。
それを見た理安が素早く煙草を奪い取る。

「なっ……!?おいてめェ、何のつもりだ?」
「それはこっちの台詞だ。せっかくの甘いものを食べる店内で煙草の煙を撒くなんて非常識だ」

じっ、と視線を真っ直ぐに向ける理安をしばし見つめ。
ちっ、と舌打ちして俊之介は軽く首を横に振って、降参の意を示した。

「分かったって。てめェの言うことの方が理がある。だから煙草を返せ」

理安はふわりと微笑んで煙草を返した。
俊之介はそれをシガレットケースに戻し、通りがかった店員に白玉餡蜜を注文する。

「……ねぇ、理安。あんた、火瀬さんと会ったの今日で何度目?」

二人のやり取りを黙って見ていた千代が問う。
理安は、んー、と視線を宙に彷徨わせつつ答える。

「三度目、だな」
「それにしては二人共、なんか…長い間付き合ってる友人みたいな雰囲気ね」
「……そうか?」

小首を傾げる理安に千代は力強く頷く。

「そうよ。そもそも他人には無愛想のくせに火瀬さんには珍しく懐いてるし」
「懐くって……千代、私は犬や猫ではないんだが……」

しかし、そんな理安の声など耳に、ましてや頭には届かず、千代は何やら一人で納得している。

「……。そういえば俊之介さんも甘い物が好きなのか?」

千代に何かを言うことは諦めて、隣を振り向いて問えば、俊之介は少し渋い顔をした。

「他の班員には黙って食いに来てんだから、そのことを周平にも湊さんにも言うなよ?」
「分かった。叔父上にも言わない」

理安のその言葉に千代は噴出すのを何とか堪えなくてはならなかった。
こう理安が言っていることを戒が聞いたら、いったいどんな反応を見せるだろうか?
理安命の彼だから、それこそ嘆き、一方的に俊之介を恨むだろう。
そんなことを考えているうちに、二人の話題は甘い物に移っていた。

「あんこ亭はやはり白玉餡蜜だ」
「そうだな、それには俺も賛成だ。だが、白玉餡蜜といえば、港近くの『ひなげし』も捨てがたい」
「ああー!私、実はまだひなげしには行ってないんだ!!皆あそこの白玉餡蜜を絶賛しているのに……」
「…火瀬さん、白玉餡蜜来ましたよ」

一人もそもそと食べていた千代が、白玉餡蜜を指し示す。

「あァ、悪ィな」
「いえ。それにしても火瀬さん、結構食べ歩いているんですか?」
「まあな。お前らは違うのか?」
「理安が食べ歩くのに一人は嫌だって言うから付き合ってるんです。発明の時間を削ってね。…そうだ!」

突然、千代の目が輝く。

「ねぇ、火瀬さん。非番の日とか暇な時間、この子と一緒に食べ歩きしてやってくれません?」
「千代?」
「私、発明の時間を少しでも多く確保したいけど、でも理安を一人で食べ歩かせるのは可哀想だったんです。私が暇なときは一緒に行くけど、ほら、私今大型のバズーカ作ってるし、暇な時間なくて」
「なるほどな……。そういや、妖刀退治に鷹居堂炎ってのがいたが、あんたはそのお嬢さんか。武器作りが専門のようだな」
「ええ、親父譲りで武器発明大好きなんです」

にっこりと千代は笑った。
対して、俊之介は口の片端を僅かに吊り上げる、ニヒルな笑みを浮かべた。

「…良いぜ。俺も流石に男一人で甘味処に入るのは微妙だったからな」
「よし、これで理安、甘党仲間ができたわよ。良かったわね」
「………」

理安は少し困ったような表情を千代に見せた。

「……理安?ごめん、嫌だった?」
「いや、俊之介さんとなら嬉しいが、その、……」

言いづらそうに理安は口を閉じ、目を伏せ。
そして、再び口を開く。

「千代の後ろに光が……」
「いつから!?」
「てかいるのかよあの過保護幽霊」

霊感の強い理安にしか見えないが、光は千代の真後ろに静かに佇んでいた。

「ひ、光……聞いていたのか?」

傍から見れば、宙に向かって問い掛ける理安の姿は少々おかしいだろうが、俊之介も千代も気にしなかった。
俊之介はマイペースに白玉餡蜜を食べ、千代は事態を見守ることにした。

『ええ、帰りが遅いので様子を見に来ました』

これほど、この幽霊が自分のことを想ってくれているのを理安は知っている。
だから、少し申し訳ないような、それでいて時々感じる、光が実在しないことへの悲しさに彼女は襲われた。

「本当は、お前が一緒に行けたら良いのだけれどな……」

それは、よく思うことだった。
光は理安の傍にいられるが、彼女以外の目には家以外では移らない。そして、一緒に食べることも不可能なのだ。それが、理安には寂しくもあり悲しくもある。

『理安……』
「千代は私の家族同然で、姉みたいな人だから私の我儘に付き合ってくれている。千代を見てれば甘い物より発明が好きなことは分かる。でも、私は一人で食べるなんて味気ないことはできない」

自嘲するような笑みを理安は浮かべる。

「…あー、もう」

突然千代が苛立ったような声を発して会話を中断させた。

「どうして甘い物食べるのにそんなシリアスモード入ってんのよ!!理安、あんたは何かにつけて真面目過ぎ!ついでに光は過保護すぎ!」
「ち、千代……それは言い過ぎでは……」
「事実よ、じーじーつ。光は不満があるの?私の提案に」

理安は光の顔を見て頷く。

「俊之介さんのことを信用してなさそうだからな。かなり不満そうだ」

当の俊之介は白玉餡蜜を食べ終え、愉快そうに事の成り行きを傍観している。

「じゃあ、怜真さんが認めれば文句ないわね?」
『なっ………!?』
「ち、父上がどうしてここに出てくるんだ!?」

勝ち誇るような千代に、光と理安が狼狽える。

「だって、うちの最終決定権は怜真さんにあるでしょ?それとも理安、あんたまさか怜真さんに黙ってこっそり食べに行く気だったの?」
「うっ…そ、それは…そういうつもりはないが、その……」
「じゃあ良いわね。光も、良い?」
『……分かりました』
「承諾したぞ」
「話はまとまったみてェだな」

手持ち無沙汰に木のスプーンを指で振り回していた俊之介が言う。

「じゃあぼうず、俺は警察隊本部の第11班部署に大抵いるから、用があるときは呼べよ。楽しみにしてるぜ」
「……!分かった!!」

心底嬉しそうに頷く理安を見て。俊之介は一瞬目を細めた。
その時、外から悲鳴が上がった。
途端、理安と俊之介は今までの穏やかな空気を消して無言で店を走り出た。

「……え、私が三人分払うわけ……?」

残された千代が溜息と共に呟いた言葉は、光にしか届かなかった。



往来に人だかりができていた。
問答無用で二人は人を掻き分け、人の輪の中心に行く。
沈みそうな夕陽を反射する赤い刀身が目に入った。
それに血は付いていない。
被害が出ていないことにホッとし、理安は刀を持つ女を観察した。
年は27,8だろうか。
やつれて、どこか疲れているように見える。
髪をきちんと整えておらず、着物もかなり着込まれたものだ。
震える両手で刀を持ち、周囲を見回している。


「あの女はどこだい!?」

金切り声で女は叫ぶ。

睨みつけてくる目は血走って、狂気の光がちらついている。

「俊之介さん、彼女は刀を手にして時間がまだ経っていない。意識を乗っ取られてはいないようだ」

理安は傍らの俊之介に小声で伝える。
と、俊之介は薄い唇の片端を吊り上げた。

「ってェことは、あれは間違いなく妖刀ってことらしいな」
「ああ、刀の気配が禍々しいからな」
「……ちょうど良い。時雨の試し斬りにはなるな。妖刀じゃねェ雑魚ばっかで最近飽きてたんだ」

言うや否や、俊之介は颯爽と女の前に立つと敢えて構えずに刀を下ろした。
明らかに、女が刀を振るうのを待っている。

「何だい、あんたは!?」

女が俊之介を睨みつける。
その視線の凄まじさに、自分に向けられたわけでもないのに理安は背筋が凍る思いがした。
周囲の人々もそうなのだろう。逃げるように去る人や、一歩二歩と後退りする人の気配を感じた。
視線を向けられた相手は、しかしその視線をそよ風とさえ感じていないかのように、どこかニヒルな、不敵な笑みを浮かべている。
それを見た女は髪を逆立てる勢いで甲高い声を上げた。

「さてはあの女の男だね!?ああそうさ、あの売女が一人の男を相手にしてるなんてありえないさ。あんた、どうせあの女にあたしをどうにかしろと言われたんだろ?させるもんか!!あの女狐はあたしが捕まえて殺してやるっ!!」

一人で誤解して女は逆上している。
両手で刀を持ち、奇声を上げて俊之介に斬りかかった。
しかし、刀に操られていようとその程度では彼の敵ではない、と理安が思ったとき。
キィン……、と金属の鋭い音がした。

「なっ……!?」

知らず理安の口から声が漏れる。
俊之介は女の刀と自身の刀、時雨をぶつけた。
明らかに、わざとだ。俊之介ならば、かわすことなど造作もないはずなのだ。
まるで、刀を試すようだ、と理安は瞬時に思った。
一方俊之介は、間髪いれず両腕を薙ぎ払うように刀を動かす。

「ぎゃあああ!!」

女が堪らず手放した刀を右手で軽く拾い上げ、俊之介は左手に持っている時雨を見つめた。

「俊之介さん!!」

理安は俊之介に駆け寄った。
俊之介は彼女に女の刀を渡す。

「よく知らねェが、てめェんちの誰かがこれを処分するんだろ?」

初めて理安と会ったとき、理安が妖刀を持ち帰ったのを覚えていたらしい。
理安は大きく頷き、

「叔父上が処理している」

と簡潔に述べた。

「無刀か……。あいつ、本当に良い仕事しやがるな」
「え?」

独白のような俊之介の言葉に理安は小首を傾げ、俊之介の真意を測るように覗き込んでくる。
漆黒の、潤んで輝く理安の目と合って、俊之介は苦笑した。

「こいつの話だ」

俊之介は時雨を示した。

「雑魚相手じゃ使い心地が良いってことぐれェしか思わなかったがな。妖刀を相手にするとより実感するぜ。無刀の天才的な腕をな」

理安は心底嬉しそうな笑顔になる。
初めて会って、理安の刀を褒めたときもそういう反応を返されたことを俊之介は思い出した。

「本当に無刀が好きなんだな、てめェは」
「当然だ。……そうだ、俊之介さん。実はさっきから思っていたのだが、」
「何だ?」
「私をぼうずと呼ぶのはやめてくれないか?理安という名があるのだから」
「何生意気言ってやがる。てめェはまだまだガキなんだぜ?」
「でもぼうずではない!」

理安が強く言うと、俊之介は胸ポケットから煙草を取り出しつつ言った。

「じゃあ嬢ちゃんか?確かにてめェの顔は女みてェに綺麗だから似合ってっけどな」
「違うっ」

一服してから俊之介は理安を見る。

「じゃあ、てめェが俺にがき扱いされない存在になったら名前呼びしてやるよ、理安」
「…俊之介さんは意地悪だな…」

拗ねたように口先を尖らせる理安の頭を俊之介は軽く叩いた。

「もういい時間だ。ここは警察隊の俺が治めとくから、てめェはもう帰れ」
「……分かった。ありがとう、俊之介さん」

素直に頷き礼を言う理安に、俊之介は一瞬何故か戸惑いを覚えた。

「……あれだけ気が合ってるのに、光、あなた、邪魔できる?」

ことの一部始終を見ていた千代が傍らにいるはずの光に問い掛ける。
当然、彼の返事は聞こえなかった。