周平から刀ができた、と聞いたのは約二週間後のことであった。
その間、夜に事件はあっても理安と会うことはなかった。
教えられた場所を目前にして、俊之介は立ち尽くした。
街の西のはずれ。
俊之介の目の前には、石段が上へとのびている。
小山を崩して土地を均したのだろう。
百段ほど上った先に家はあるようだ。
俊之介は場所を告げた時の周平の愉快そうな顔を思い出し、舌の上に苦いものが広がる気がした。
後であのサングラス斬ってやる、と固く誓って石段を上る。
綺麗に掃き清められた石段である。
感心しながら上を見上げると、石段の一番上、門の前に一人の男が立っていた。年は二十歳前後だろうか。漆黒の髪を後ろでゆったりと束ね、銀縁の眼鏡をかけている。どこか理安という少年に似ている気がした。
おかしいことに、白装束だった。さらに、その格好で箒を持っている。
男はじっ、と俊之介を見ていた。
その視線はあまり好意的ではない。むしろ、排他的な印象を受ける。
だが、彼、ではないようだ。
俊之介は安心よりも落胆してしまう。

「どちら様ですか?」

態度に反さず冷たい声音で問い掛けられる。
石段を上りきってから俊之介は名乗った。
男は表情を全く変えず頷く。

「理安から聞いています。どうぞお入りください」

門を通って良い、という意味だろう。
どうやらこの男はこの家の門番のようだ。
敷地に一歩足を踏み入れた瞬間、俊之介はピリピリとしたものを感じた。
反射的に感覚が研ぎ澄まされる。
敵意は感じないが、心のどこかが落ち着かない。
俊之介は平静を装いながら玄関戸をノックする。
続いて、戸を開ける。
ちょうど、奥から人が現れたところだった。
切れ長の一重の目が涼しげな男だった。
理安は綺麗過ぎて人間的ではなかったが、目の前の男は存在自体が人間味を排除している気がした。
俊之介より僅かに背は低いだろうが、十分長身である。
黒く長い髪は下ろされていた。
その気配の透明さと鋭さに俊之介は確信する。
この男が彼なのだ、と。
剣神、という称号がある。
国が非常に優れた剣豪に贈るもので、剣神のいない時代の方が長いだろう。
今の剣神の前に剣神が存在したのは150年以上も前だと聞く。
今から22年前。
異例として、二人の剣神が誕生した。
人々は「双頭の剣神」などとも呼んだりする。
当時まだ14歳の少年と少女が、その称号を得たのだ。
少年の刀は光速の剣技と言われ。
少女の刀は朧の剣技と言われた。
少年が二刀流に対し、少女は一刀流。
ひどく対照的な剣神達である。
その双頭の剣神の片割れ。
少年の方の名を確か、

「氷水怜真か」

俊之介は不敵な笑みを浮かべて言った。
彼は強い者と会えるのが嬉しくて仕方ない。魂が歓喜に震えてしまうのだ。
男は透明な視線を俊之介に向けた。
何も読めない視線だ。

「そうだ」

怜真の短い肯定に俊之介は笑みを深くした。

「俺は火瀬俊之介。あんたと一度真剣勝負をしたかったんだ。受けてくれるか?」

突然の申し出に、怜真は薄く笑む。

「良いだろう」
「悪ィな。……と、その前に刀鍛冶の居場所を教えてくれねェか?借り物の刀であんたと戦うわけにはいかねェからな」
「あちらの離れだ」

淡々と告げると、怜真は俊之介を見る。

「明後日、午の刻に再びここに来るが良い。手合わせしよう」

一方的に言い、怜真は奥へと去っていく。
俊之介は久々の、そして最高の強敵に血が騒ぐのを感じた。



工房と呼ぶには狭すぎるだろう。
そんな離れで、椅子に無造作に腰掛けて足を組む男がいた。
赤茶の髪は肩に届く位の長さなのだろう、後ろで乱雑に括られている。
どことなく盗賊のような印象さえ与える男は、明らかに不機嫌であった。
俊之介がやってくるのを見るなり、敵意すら感じさせるような目を向けてくる。
そして、開口一番こう言った。

「目付きの悪い奴だな」

いまや、この男が俊之介を快く思っていないのは明白だった。
そのような相手に礼を尽くして応えるような趣味は俊之介にはない。しかし、言い返すほど子供っぽくもなかった。
だから、無言で冷たく見返してやると、男は何故か苛立たしげに溜息を吐いた。

「理安ちゃんも源じいも、どうしてこんな奴を……」
「おい刀鍛冶、てめェの事情は知らねェが俺の刀はどうした?」

男の独り言に付き合う気は俊之介にはさらさらない。
男の口ぶりからすると、理安の知り合いの刀鍛冶であるこの男は、源じいとやらをも知っているようだ。
源じい、という男に俊之介は心当たりがある。しかし当人に問うのは、せめて刀を手に入れてから、と思っている。
だから、この場は敢えて何も言わなかった。
男は威嚇するように睨みつけてきた。

「戒だ、無刀戒。そこらの刀鍛冶と一緒にすんじゃねえ」
「そりゃ悪かったな」

戒は憮然とした表情で俊之介に一本の刀を渡してきた。
俊之介の、ではない。
鞘に収まっているし、柄だって彼のものとは違う。
しかし受け取ると、これ以上ないほど俊之介にぴったりであった。
長さ、重さ、掴み心地、刃の角度………。
列挙したらキリがないほどだ。

「理安ちゃんの左肩の怪我はお前のせいだろ」

恨みの篭もった声で戒は言った。

「―――――ああ」
「理安ちゃんはお前のせいにしてなかったし、妖刀について知らないから仕方ない、とも言っていたが、それでもオレはお前を許さねぇ」

妖刀、という耳慣れない単語や戒の理安への異常な執着が気にはなったが、俊之介は黙って批難を受け入れた。
彼自身、そのことに深く責任を感じていたからだ。

「そんな奴に、このオレの最っ高の刀を作ってやるなんて以ての外だ」

だが、と戒は眉根を寄せる。

「理安ちゃんが必死に頼んだから断れるわけがねぇ。そして、引き受けた以上は最高のものを作るのがオレのプライドだ」

戒という男はかなりの職人気質であり、プロ意識が高いようだ。
俊之介は戒を見直した。
その戒は、憎々しげに今や俊之介の手に収まった刀を見た。

「悔しいが、オレの全力でもって作り上げた刀だ。名前は―――――」
「名前は決めてある」

遮るように俊之介は言った。
改めて、刀を見る。

「こいつの名は時雨、だ」
「なっ――――――!?」

戒が唖然とした顔をする。

「作った奴の付けた名を貰わなくて悪ィが、もう決めたんでな」

淡々と述べる俊之介を、戒は烈火の如く激しく睨む。

「てんめぇ……理安ちゃんの名字が氷雨だと知っていてか!?」
「はァ?」

俊之介には職人を差し置いて勝手に名付けたことを怒られる覚悟はあったが、戒は明らかに見当違いなことを言っている。

「いや言われてみりゃ、そういう名字だった気はするが……」
「氷雨と対になるような言葉を使いやがって!どこまでも許し難ぇ奴だ!!」

戒は一人で憤怒していた。もはや、俊之介の言葉すら届いていない。
ややこしい奴だ。こんなのでは、妖刀とやらについて訊けもしない。
源じいとやらに当たるか、と仕方なく溜息を零した俊之介の耳に砂利を踏む音が聞こえた。
既に気配で誰か気付いていたから、振り返らなかった。

「叔父上、七枝さんが呼んでいるぞ」

声変わりしていない高い声。
ゆっくり振り向けば、やはり理安がいた。
陽の光の下だからか、ちゃんと生きているように見えるし、綺麗過ぎるが、今は人間らしく見える。
あの幻想的な姿は、月の光の照明と夜という舞台が生み出したようだ。
今日は萌黄色の着物を着ている理安は、俊之介を見ると柔らかく微笑んだ。

「あ、俊之介さん!刀を取りに来たのか?」

何故だか、子犬に懐かれているような錯覚がした。

「そうだ。ったく、この男は勝手に刀に名ぁ付けやがって……」

戒が受け答える。
先程までの厳しさ、きつさ、激しさがほとんど消えている。理安に向ける目の暖かさに俊之介は呆れた。
この野郎、よほど理安が可愛いらしい、と。

「それで叔父上、説明はもうしたのか?」

まだだよ、と戒は憮然として答える。

「そうか。では私がしておくから、叔父上は七枝さんのところに行ってあげてくれ」

提案する理安に、戒は慌てる。

「理安ちゃんにそんなことはさせられねぇ。こいつには後日にでも説明すりゃ良いだろ。それが駄目なら七枝に待ってもらって今からオレが―――――」
「叔父上」

遮るように理安は呼び掛け、戒をじっと見た。
戒は、傍で見ていておかしいほど弱った顔をする。
そして、5秒ほどおいて、項垂れるように戒は頷いた。

「分かったよ理安ちゃん。おい、えーっと……火瀬!理安ちゃんに変なことしたらブッ殺す!!」

去りながら戒は怒鳴ってきた。

「オレにそっちの趣味はねェよ。安心しろ」

いくら美人と言えど、理安は男だ。
それに俊之介はたとえ理安が女であっても手を出す気は毛頭ない。
真っ当な女を相手にするのは面倒だからだ。店の女なら、その時だけの付き合いで後腐れもない。気が楽だ。
そもそも俊之介に結婚する気などないのだから、それで十分なのである。
戒は何度も心配そうに振り返りながら母屋へ向かっていった。
それを見送り、理安は俊之介のほうを向く。

「少々込み入った話をするから、場所を移そう。そうだな……私の部屋が良いな」

庭の桃の花が綺麗なんだ、と言った。
理安の後について俊之介は歩いた。
玄関の前を通り過ぎ、ぐるりと母屋を回る。
先程の工房とは敷地の対角線上にあると思われる場所、それが理安の部屋だった。
と言っても、離れではない。母屋の最奥で、角部屋である。
理安は縁側に腰掛けた。俊之介も同様にして、隣に座る。
やはり山だからか、庭の香りも山を思わせる。
淡く色付いた桃の花が目の前に咲いていた。春の香りが風に乗って漂ってくる。
ふと、冷気を感じた。
そちらを向けば、盆を手にした白装束の男が立っていた。

「理安、お茶とお菓子です」
「すまないな、光」

理安は立ち上がって盆を受け取る。

「しばらく二人で話したいから、下がってくれ」
「分かりました」

頷き、光は家の中に去っていく。妙に気配のない男だ。
訝しみながら光の去った方を見ていると、湯呑みを差し出された。

「悪ィな」

受け取った湯呑みは少し熱かった。
お菓子は桜餅である。
俊之介は甘党なので、素直に嬉しかった。

「この前の男の持っていた刀だが、」

理安は一口茶を飲んでから切り出した。
湯呑みをそっと横に置くのを見て、長い話になりそうだ、と俊之介は思った。

「私達は妖刀と呼んでいる」
「無刀もそう言ってたな」

そうだ、と理安は頷く。

「妖刀は名の通り、妖気を持つ刀だ。持った者と波長が合うと、持った者を操り、終いにはその体を乗っ取る」
「てェことは、この前の男も操られていたのか」

確かに正気ではなかった。

「あれはまだ操られている状態だったが、時間が経ち過ぎると乗っ取られる。操られているときは刀を手放させれば良い。しかし、乗っ取られたときは―――――」

乗っ取られた人間を斬り殺すしかないんだ、と。
遠くを見遣って理安は言った。
その経験がおそらくあるのだろう。

「だから、この前腕を狙ってやがったのか」

独白するように俊之介は言った。

「実は、それ以外にもう一つパターンがあって、」

理安は俯いて言う。

「持った者が、稀にだが、妖刀を捻じ伏せ、その力を得ることがある」
「その場合も解決策は、持った人間を斬り殺すだけか」

理安は複雑そうな顔で頷いた。
まだ15、6の子供だ。
辛いのだろう、と俊之介は察する。
理安は重くなりかけた空気を振り払うように、声を大きくした。

「その妖刀だが、俊之介さんが見たように普通の刀では全く太刀打ちできない」

理安は俊之介が既に腰に差した刀を見る。

「その刀や私の刀といったものしか、対抗できないらしい」
「それはつまり……無刀の刀しか妖刀と戦えないってことか?」
「いや、あと祖父の刀も対抗できる」

まだ見知らぬ人間が理安の言う「私達」にはいるらしい。
俊之介は左手で左のこめかみをおさえた。
理安の説明を聞くより、こちらから訊いた方が良さそうだ。
そう判断して、理安を見る。

「ちょっと待ってくれ。俺なりに納得してェから、こちらの質問に答えてくれ」
「ああ、分かった」

理安は素直に頷いた。

「まず……、妖刀と戦おうとしてる連中、要はてめェの仲間ってのは誰だ?」

そうだな…、と理安は空を見上げる。
空は少し赤くなってきている。

「そもそも、妖刀退治をしようと決めたのが父上――――氷水怜真だ」
「…………………………あァ?」

衝撃のあまり、俊之介の反応はワンテンポ遅れる。
この少年は今、あの氷水怜真を父と言わなかったか。
呆然と固まる俊之介を見て、理安はあっ、と声を漏らす。

「しまった、言い忘れていたか。私は氷水怜真の養子なのだ」


他国と一切の交流もなく、数十年前にやっと外国の存在を知ったような、閉ざされたこの国の医療は未発達だ。
近年、少しずつ外国の助力により発展してきてはいるが、それでも20歳未満の死亡率は高い。
だから、20歳未満の子供には戸籍はない。それにより、子供達は好きに姓も名も名乗れる、が。

「名字は氷水で名乗らねェのか?」

魚の骨が咽喉に突っかかったような。そんなもどかしさを感じながら俊之介は訊いた。
そのもどかしさは、理安の名を聞いた時にも一瞬生じたような――――――。

「母上の姓だ」

氷雨、氷雨、氷雨。
それは、―――――――片割れ。
ドクン、と。
俊之介は自分の心臓の鼓動を聞いた。

「氷雨、清か?」

朧。
そして、幻。惑わす。
理安は無表情に頷く。

「そうだ。彼女は私を捨てて、父上に渡したらしい」

この少年は、
この目の前の少年は、
文字通り「剣神の子」だ―――――――。
剣神の片割れの子にして、もう一方の剣神に育てられた。
だからこそ、あれだけの実力があったのか。
俊之介は薄く笑む。
近い将来、間違いなく目の前の少年は、彼と互角以上に戦えるだろう。

「……俊之介さん?」

ひどく無防備な顔で理安が覗き込んでくる。

「話が逸れちまったな。とにかく、他の面子も教えてくれ」
「分かった」

桜餅を一口齧り、理安は再開した。

「父上の双子の弟である叔父上、父上と叔父上の父親である氷水龍漸、父上と同門の英泉という人と、あと鳥居さん。源じい……湊源二と、父上の友人である鷹居堂炎が今のところ妖刀退治のメンバーだ。と言っても、祖父は高齢だからかつて参加していた、と言う方が正しいし、叔父上は戦う方には参加していない」
「無刀は刀作りに専念してるってわけか」
「そうだ。叔父上は決して刀を振らない、と誓っているからな」

その理安の口振りからすると、戒も実力者ではあるようだ。しかし、自ら封印しているらしい。
考えてみれば、彼は氷水姓を名乗ってはいない。無刀戒という字面から見ても、彼の名は自分で作ったものであり、同時に戒めなのだと推測できる。
ここで、俊之介は先刻から生じていた疑問をぶつけることにした。

「何故氷水怜真は妖刀退治を決意した?いや、そもそもどうやって妖刀の存在を知った?」

理安の瞳に翳りが生じた。

「……母上のせいなんだ」

俊之介は理安を見た。
次の言葉を待って。

「母上が、よく分からないが、妖刀の元を封じていたものを解いたらしい」

だから―――――親の不始末は子がつける、と。
理安は寂しそうに言った。
俊之介が理安に礼を言うな、と言ったときの表情と同じであった。

「それを氷水怜真が知っていたのか」
「母上が父上に言ったらしい」

そのあたりの事情はよく知らないんだ、と理安はすまなさそうに呟く。
項垂れる小さな頭に俊之介は軽く手を置いた。

「変なこと訊いちまって悪かったな」

誰かを慰めるのは久し振りだな、と場違いなことを俊之介はふと思った。
理安はゆるゆると首を横に振った。
彼の頭から手をはずし、質問を再開することにする。

「じゃ、本題に入るぜ。妖刀について俺に説明して、俺に何をさせたい?俺を第11班の副班長にしたのも同じ理由なんだろう?」

先程理安の言った中にいた湊源二。
彼こそ、元第11班の班長であり、定年退職時に空いた副班長の座に他班の俊之介を指名した張本人だ。
ちなみに、現班長は元副班長の信濃豆二郎という男がなっている。
理安は黒真珠のような優しい黒色の瞳を俊之介に向けた。

「俊之介さんの腕の良さは、源じいが知っていた。彼が退職しなくてはならない以上、彼の穴を埋める人材が欲しかったんだ。性格的にも申し分なし、と判断して俊之介さんに協力を仰ごうと決めたんだ」
「でも11班には周平がいるだろ?それで十分じゃねェか」
「一晩に一件だけとは限らないんだ。それに、一人じゃ対処できないほど強い妖刀もある」

鳥居さんは普通の人だしな、と理安は独白する。
それではまるで、理安を含む他の人が普通ではないような言い方だ。
怪しむ俊之介の心中を察したか、理安は慌てたように言う。

「強さで、の意味だぞ?英泉という人は呪術が使えるし、鷹居堂炎は様々な武器が使える。父上の強さは桁外れだ、ということだ。私と鳥居さん、それに源じいは彼らに比べ普通のレベルとしか言いようがない」

聞いていれば、どうやらおかしな連中のようだ。しかし、酔狂でなければ妖刀と戦いはしないか、とも納得する。

「ってェことは、俺にはてめェや周平の手伝いをしろ、ということか?」
「それと同時に、妖刀の事件は高い確率で夜起こるから、11班の俊之介さんと出遭う可能性が高い。そこで、他の人達に妖刀のことを知られないようにして欲しい」

『何故、警察隊が―――――!?』

理安の叫んだ言葉の裏には、周平が隠しているはずなのに、というものがあったのだろう。

「そういうことか」

納得して頷く俊之介を、理安は不安そうに上目遣いで見る。

「その、強引な手段をとったのは謝る。本当にすまない」
「気にすんな。出世させてもらっただけで十分だ。それに、今の班の方が性に合ってるし、こんな面白いこともできるってんだから、感謝するのはこっちだぜ」

嘘偽りなどない、全くの本心だ。
それを見て取ったか、理安はあからさまに安堵の溜息を吐く。

「そういや、これはついでの質問なんだがな。てめェの祖父は今どうしてんだ?死んだって話聞かねェが」

桜餅を食べ終えてから俊之介は問う。
氷水家はそもそも高名な刀鍛冶の家系だ。代々国に遣え、その腕は国随一だという。
氷水家の前当主は怜真に当主の座を渡して隠居した、という噂は聞いたことがあるが、死んだという話は流れていない。
理安はもうすぐ闇色になる空を見上げた。
もう、赤い部分が追い出されようとしている。かなり時間が経ったらしい。
先程はまだ夕方の始まる頃だったのに。

「気ままに旅をしている。彼岸に一度帰ってきた。まだまだ元気そうだったな」

空を見上げたままの理安を見て。
同じ空の下旅歩く祖父を想っているのだろうと、俊之介はすっかり冷めてしまった茶を飲みながら思った。




石段を下りていく俊之介の背中を見送りながら、理安は言った。

「どうだ、光。良い人だっただろう?」

傍に立つ白装束の男、光は渋い顔を崩さない。

「気配、立ち振る舞い、どれをとっても強いと分かりますが……。理安が彼のどこを見込んだのか、拙者には分かりません」

理安は軽く声を立てて笑った。

「光はよそ者が嫌いだからな」
「そもそも火瀬殿は、目付きが悪いです」

年甲斐もなく拗ねたような光に、理安は苦笑する。

「目付きが悪いんじゃない。眼光が鋭すぎるんだ。だから、鋭い目付きが余計鋭く見える。で、目付きが悪いという誤解を受ける」
「眼光が鋭い、ですか。でも、気付きませんでしたね」

気付いたらまずいだろう、と理安は困ったように笑む。

「それに、幼い頃からずっとしているからな。まず誰も見抜けないだろう」
「理安は成長も遅いようですからね」
「悔しいが、おかげで助かっている」

そう言って、理安は自分の体を見る。
16になったというのに子供のような体型。身長も161cmにまで伸びた。戒より13cm、怜真より17cmも小さいが。
それでも、十分だろう―――――女としては。
幼馴染の少女は154cmだし、話に聞くと母もその少女と変わらない程度だったという
ふと、俊之介は怜真よりも高かったことを思い出す。
あの長身から繰り出される、荒々しく力強い、ひどく癖のある刀を思い出すと、今でも背筋がゾクリとする。
理安が見て育った怜真の刀とは真逆の刀。
しかし、刀に優れた理安を惹きつけて止まないものがあった。

「それだけではありません。拙者のことも、です」
「ああ、それは―――――多分、気付いているな」

理安はくるりと踵を返した。後ろを光がついてくる。

「帰りがてらに、光のことを訊かれたぞ。『あいつは本当に生きているのか?』って」
「……成程」

声には出さず、光は内心苦笑した。
理安が見込んだ理由が少し分かる、と。
俊之介の疑い通り、光は所謂幽霊だ。
この家の敷地内では何故か実体化もできる。敷地の外に出ると他の幽霊同様になるので、理安のように霊感が強い者にしか見えない。
光は目を閉じた。

『父上、誰か倒れている!』

幼い理安の声。当時、彼女はまだ6歳だった。
何故か茂みに倒れていた幽霊の光を見つけ、光っていたから光と名付けた。
光自身、どうしてこの家の庭で幽霊なのに倒れていた、その上気絶していたのか分からない。
ただ、理安と出会ったのは必然――――そんな気がする。
目を開ければ、大きくなった理安が勢い良く玄関の戸を開けるのが見えた。
光は、静かに微笑んだ。

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