気が付くと、また暗闇だった。
泣き疲れて眠っていたらしい。サーヤが体を起こすと、また灯りがつく。どうやらサーヤの意識が戻ると自動的につくようになっているらしい。
泣いてばかりいても始まらない。先刻、あの男――バルトに屈してしまったからには、当分はここで生きていかなければならないのだ。逃げ出すにしても自殺するにしても、自らのおかれた状況をできるだけ詳しく知る必要があるだろう。サーヤは自分に鞭打って立ち上がり、室内を見回した。
捕虜に与えるには随分良い部屋だ。若干薄暗い以外は、適性者であった頃より良い待遇である位かもしれない。先程まで自分が使っていたベッドもかなり質が良い。何のためにここまでというほど恵まれていた。この船には他にはリュクルゴスの七人しかいないはずだが、皆こんなに良い部屋を使っているとでも言うのだろうか。
「うふ、だってあなたはお客様だもの♪」
その時、急に背後で声がして、サーヤはそれこそ心臓が止まりそうになった。ガバッと振り返ると、そこにはいつの間にか、パラソル型のスカートを履いた女、リピュレが甘い笑顔で立っていた。見ると片手にはトレイを乗せている。
「やだ、驚いちゃった〜?ごめんなさい、私はただお食事運んだだ・け。お腹空いてるんじゃないの、サーヤちゃん…?」
彼女の声は高く、猫撫で声だった。浮かべた微笑みは甘く、しかし、確かに悪意を含んでいた。サーヤは驚きと怯えに震えたが、ここで下手な事は言わない方が良い事は弁えていた。
「あ、ありがとう…ございます」
そう言った瞬間、サーヤは自分の空腹感を自覚した。何となく情けなかった。こんな状況でも食べるのは欠かせないという事か。これで食欲が無い、と言えるような性格だったら良かったのに。
「さぁ、た〜んとお上がりなさい♪」
リピュレが丸机にトレイを置いた。サーヤはのろのろとそれに従って椅子に座る。
そして、トレイを見て、しばし呆然とした。
明らかに二人分三人分の分量である。いくら空腹でも、こんなに入るはずはない。
「……あの…少し、多くないですか…?」
あまりの量に怖れも忘れてサーヤは言った。相手は一瞬何を言われたか分からないような表情をしたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「おバカさん、私も食べるのよ」
「えぇ?!」
サーヤが声を上げるほど驚くのも無理はなかった。
「なぁに、文句ある?」
女が少し拗ねたような口調になった。
「あ、いや、そんな事は……でも…」
まさかこんな恐ろしい事態になると思っていなかったサーヤは口ごもりながらフォークを取った。少しも運んだだけではないじゃないか、と内心文句を言いながら、向かいの席に嬉々として座っている女を盗み見る。
「バルトったら普段はケチでこんな物なかなか食べさせてくれないんだもの♪食べたくなかったら無理しなくていいわよ、み〜んな食べてあげる☆」
心底嬉しそうだ。サーヤは目の前の食事と彼女を見比べた後、一口口に運んでみた。確かにかなり上等の物のようで、素直に美味しかった。まして今空腹なのだから尚更だ。
しかし、『普段はケチ』なあの男、バルトが自分にはこんな良い待遇をする狙いが分からなかった。(そのお蔭でこんな怖い思いで食べなければならないのだし。)サーヤは可憐な動作で食物を口に運ぶリピュレを見た。女が目を上げた拍子に目が合い、サーヤは慌てて目を逸らした。女は面白そうに笑った。
「うふ、どうしたの、サーヤちゃん?何か聞きた〜い?」
リピュレは身を乗り出した。サーヤは恐る恐る彼女を見る。極上の笑顔が自分を見つめていた。考えた結果、ここで何か聞いても特にどうこうはされないだろうと思い、サーヤは思い切って、浅く一息ついた後口を開いた。
「あの…どうしてこんなに良くして下さるんですか?食べ物も、部屋も…」
「もう、だから最初に言ったじゃない?お客様だからよ」
「でも……実際は、捕虜でしょう?」
サーヤはためらったが、その言葉を口にした。そしてその後少し怯えたように相手を見る。リピュレはクスと笑った。
「捕虜ね、確かに。でもあなたはあたし達の宝物でもあるのよ?」
少しだけ真剣な調子を含む彼女の声に、サーヤは息を呑んだ。
「宝物…?」
「そ。あなたの存在は貴重なのよ?凍結使わなくて済んだんだもの」
そう言うと彼女は一口食べた。凍結――その言葉にサーヤは寒気を覚えた。巫女になるのだと思っていた頃は毎日恐れていた言葉。それを実際に行った集団の船に、今自分は乗せられているのだ。
「何故…凍結をやめたんですか」
しかし、その疑問はついて出た。どうして自分がこのような手段を用いられたのか知りたい。
「これはね、実験なのよ、サーヤちゃん。凍結しなくても済むかどうかの、ね」
リピュレは楽しそうに微笑んでそう答えた。
(実験…?)
サーヤが何とも言えず黙っていると、彼女は続けた。
「実験は成功みたい☆イオタ星は良い状態になってるもの。狙い通りに…ね」
対照的にサーヤは絶句した。今自分がここでこうしている間に刻一刻と不安定化していく星の事を思ったのだ。蒼白になるサーヤを、リピュレは面白そうに眺めた。
震える手を握りしめて、サーヤは必死に心を静めた。
(落ち着いて…乗せられて変な事言っちゃダメ)
そして、何とかそれを抑えきり、こう言った。
「あなた達の…狙いって、一体何なんですか?」
以前から気になっている事ではあった。ネットワークを不安定にして彼らの得になる事とは一体何なのだろう。万人にとって得にならないものが、彼らにとってのみ得になるなどあり得る事なのだろうか。
リピュレはそれを聞いてクスクス、と笑った後、意地の悪い声で答えた。
「赤ちゃんには分からない事よ、かわい子ちゃん…」
それは、言外に自分には決して教えるつもりがない事を知らしめている台詞だった。サーヤは起こって良いやら失望して良いやら、結局一つ溜息をついて食事に戻った。
「あらぁ?もうお終い?」
「………だって、教えてくれる気はないんでしょう?」
意外そうに覗き込んでくるリピュレに、サーヤは静かに言った。リピュレはしばらく彼女を眺めていたが、やがていつもの笑みを浮かべて食事に戻った。
「あの子、賢い子ね」
食事の空き皿を持って予告もなく入ってきたリピュレに、バルトは特に驚きもせず彼女を見た。
「ほぅ?」
「挑発にも乗らないし、読みも中々よ?ただの赤ちゃんかと思ってたけど、そうでもないみた〜い♪」
「そうか」
リピュレの報告にも、バルトは殆ど興味を示そうとしなかった。そしてリピュレも、彼のそんな様子には全く慣れっこだった。
「それにしてもどうするの〜?イオタ星が黙ってるとは思えないけど〜」
その言葉に対して、バルトは落としていた視線を上げた。
「事実黙ってはいないようだしな」
「え?」
「救出部隊が組まれている」
「やぁだぁ、何落ち着いてるの〜?大変じゃな〜い」
しかしそう言うリピュレにも焦った様子は微塵もない。
「蹴散らせば良いだけだ」
「でもムダな力使う事にならなぁい?長引いたらイヤよ。それに、イオタ星って」
「言うな」
言葉を続けようとしたリピュレを、バルトは底冷えのするような厳しい声で遮った。流石のリピュレも黙り込む。バルトはしばらくの間の後言った。
「適性者さえ手の内にあればどうとでもなる。間違っても殺したり逃がしたりするな。…頭が回ると言うなら、尚更だ」
そして彼は、再び視線を落とした。リピュレは内心安堵しながらも、
「はぁ〜い。もう、いっつも言いたい放題なんだから〜」
と、憎まれ口を叩きながら彼の部屋を後にした。